「マネージャーはモンゴルの平原で変わる」
第5回 LIXILグループ 執行役副社長 人事総務担当 八木洋介氏
「ホワイト企業」――。筆者らは新しい組織の在り方として、「ブラック企業」ならぬホワイト企業を提案している。
ホワイト企業とは決して、福利厚生を重んじた社員に優しい会社という意味ではない。価値創造力を高めるため人材開発に力を入れ、イノベーション(ここでは「技術革新」ではなく「価値創造」を指す)に結びつく実力重視の会社だ。
組織のイノベーション力を高めるには、価値創造を牽引する「クリエイティブ・キャピタル」を組織内で増やし、価値創造に向けた「創造的学習」を促すことがカギとなる。クリエイティブ・キャピタル(資産)とは、専門知識や技能を身につけ、顧客や社会にとって価値が高い仕事をする人のことを指す。
クリエイティブ・キャピタルになろうとする社員を歓迎し支援する会社であれば、ポテンシャルの高い人材が続々と集まってくるだろう。一方で、人材を単なる必要経費(コスト)としか見なさず、人を使い捨てにするような企業からは、クリエイティブ・キャピタルは育たない。そんな企業はブラック企業と呼ばれても仕方があるまい。
なぜ今、企業はホワイト企業を目指すべきなのか。どうすればホワイト企業になれるのか。そして個々人がクリエイティブ・キャピタルになるにはどうすればいいのか。筆者らは約2年をかけて取材と調査を繰り返し、経営者、事業家、現場で働くプロフェッショナルたちの声を盛り込みながら、書籍『ホワイト企業 創造的学習をする「個人」を育てる「組織」』(日経BP社)としてまとめ上げた。
書籍ではページ数の都合もあり、一つひとつの事例を深掘りして書けなかった。そこで本連載では、書籍に登場した主要人物に再取材し、クリエイティブ・キャピタルに至る道、イノベーティブな組織のつくり方、ホワイト企業を支える人々の考え方など、詳細を迫っていくことにした。
第5回の登場人物は、住宅設備・建材メーカーのLIXILグループで人事総務部門責任者を務める八木洋介氏。八木氏はNKK(現JFE)人事担当や日本GE人事責任者などを経て、LIXILグループに入社。LIXILグループでは、八木氏の主導で2012年から「リーダーシップ開発プログラム(ELT;Executive Leadership Training)」を進めている。これは、各部門から選抜された執行役員や部長クラスの社員を対象にした集合研修やコーチングなどの取り組みである。経営者になるために必要なリーダーとしての自覚を促すのが目的だ。
最大のポイントは、日常の業務から離れて自分にひたすら向き合ってもらうこと。自分に向き合い、仕事だけではなく自分の生きてきた軌跡を振り返ってもらうことで、リーダーとして判断するための「軸」を発見してもらうのだ。
「リーダーには、『真面目ないい人』から、『世界で勝てる経営者』に脱皮してもらうことが必要。そのためにこのプログラムを用意した」と語る八木氏。ELTの狙いや根底にある思想、そしてリーダーに必要な「軸」とは何かを聞いた。
(聞き手は永禮 弘之、構成は高下 義弘)
八木洋介(やぎ・ようすけ)
1955年京都府生まれ。1980年京都大学経済学部卒業後、NKK(現JFE)に入社。人事などを歴任する。1999年にGEに移り、GE Medical Systems Asia、GE Money Asia、日本GEでHRリーダーを務める。2012年より現職。著書に『戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ』(光文社新書・共著)がある。
永禮:八木さん主導のLIXIL内で取り組むELTでは、参加する社員が、中国の万里の長城まで行くと聞いています。具体的にどんなことをしているのですか。
八木:およそ1年間にわたるプログラムで、メンバーは各部門の新任マネージャーから執行役員クラスまで、幅広い層から募っています。
2カ月に1回程度、対象のマネージャーたちが集まり、特定のテーマについて話し合ってもらったり、社長などの経営メンバーと対話してもらったりします。毎回24人が基本で、6人グループを4つつくって、リーダーシップを醸成するための様々な取り組みを進めていきます。男女の構成は、社員の人員構成上どうしても男性が多くなってしまうのですが、各グループに必ず女性が1人は入るように配慮しています。ダイバーシティを意識すると、活気が生まれグループディスカッションなどが不思議とうまく進むんですよ。さらにはこれにコーチングも組み合わせ、参加者一人ひとりにコーチ役をつけて、仕事現場でリーダーシップの定着を促します。
ELTで一番重視しているのは、日常の仕事では得られない刺激や気づきを与えることです。私自身も社員の中に入り込んで、気づきを与えるようにしています。
例えば、初日は集まった全員の前でいきなり3分間の自己紹介をさせるのですが、たいてい、入社してからの職歴を淡々と話します。
一通り自己紹介してもらった後、私は「そんなんじゃ、あなたがどういう人間だか、さっぱり分からないだろう。そんな経歴紹介なんて誰も聞きたくないよ。私は、将来の社長を見つけるためにわざわざここに来ているんだ」と指摘するんです。何を経験してそこから何を学んだのか、何が好きで何が得意なのか、人生で何を大切にしているのかを紹介するのが、本当の自己紹介なのに。まあ、仕方がないです。みんな日々の仕事をこなす中で、そんなことに意識を向けたことなんてありませんから。
だから逆に、ELTでは自分に対する気づきを与えていく。すると、参加者には、次第に自分の価値観というものが見えてくる。実は、この自分の価値観を明らかにするというのがELTの最大の目的です。
先ほど万里の長城の話が出ましたが、直近のグループでは締めくくりとして万里の長城ではなくモンゴルに行って、パオの中で寝泊まりしました。そういった非日常的な空間で、さらに深く自分の価値観を掘り下げていきます。会社員とかマネージャーとかそういう立場や肩書きを離れて、自分はどういう人間なのかというのを見つめていくんです。もちろん私も、会社の立場を離れてみんなと接して、「あなたは何を大切にしているんだ」「何をやっていきたいんだ」と問いかけていきます。
最後には、1人ひとりに「私はこれを大切にして生きていく」「私はこれを大事にしている人間だ」といった価値観をみんなの前で宣言してもらうんです。モンゴルに行ったグループのマネージャーたちは、猛烈にきれいな景色の中、岩山の上に立って宣言しました。
このような特別な体験を通じて見いだした自分の価値観は心に残ります。研修に参加してその場ではいい話を聞いたと思っても、日常に戻ると、大概はきれいさっぱり忘れてしまうものです。忘れてしまっては困るので、モンゴルまで行ってもらいます。長く記憶に留まる環境を用意することで、研修での気づきがその後のリーダーとしての仕事に生きてくるのです。
1年かけて自分を見つめる
永禮:なぜ、自分の価値観を明確にすることがマネージャーにとって重要なのでしょうか。
八木:「過去にこうした経験があってとにかく腹が立った」「自分の家族に対してはいつもこう接している」「子供の頃からこれだけは大好きでずっと続けている」といった様々な角度から自分の価値観を明確にすることで、自分という人間がいつでもどこでも大切にしている考え方が浮き彫りになってきます。これを当社では「軸」と呼んでいます。
自分の軸をよく自覚しているマネージャーは、仕事上の判断基準がぶれにくいんです。リーダーの判断にぶれがなければ、多くのメリットが生まれます。例えば、そのリーダーの下で働いている社員は働きやすい。方針がはっきりしていますからね。結果として、組織全体の業績が上がりやすくなります。
リーダーというのは、状況を判断して方向性を見つけ、それをメンバーに示して巻き込みながらチームを前進させていくのが役割です。その判断の一貫性を保つものが、リーダーが持つ、人生全般を貫いている軸なんです。その軸を明確にするための様々な取り組みが、ELTの中には盛り込まれています。
研修の役割は教えることではなく、気づきを与えること
永禮:一般的に想像する企業の集合研修とは、かなり様相が違いますね。
八木:3週間研修ルームに閉じ込めてマネジメントの講義を聴かせたところで、社員は変わらないんですよ。つまり極端な話、研修では社員は育たない。
例えば、GEの有名なリーダーシップ教育の場で、クロトンビルがあります。米ニューヨーク州のクロトンビルにある「リーダーシップ研究所」のことですが、世の中の人には、GEがクロトンビルの研修でリーダーを育てているという誤解があります。クロトンビルだけでは、人は育ちません。GEでリーダーが育つのは、ストレッチアサインメント(難しい業務の割り当て)があるからです。
それでも、社員を現場から離して研修を受けさせることの意味は、先ほども申し上げたように、気づきを与えることだと思うんです。リーダーに必要な考え方だとか、そもそもリーダーシップとは何だろうかといった深い自問自答から得られた気づきは、日常の仕事から離れた場だからこそ提供できる。そして何よりも自分はこれまでの仕事の仕方を続けていても大切な成長はないということ。学びの大切さに気付いてもらうことが大切なのです。
そして、こここそ、人事のプロの出番です。「人を見るプロ」として、人を横断的に観察できる立場から、現場ではカバーできない部分を埋める特別なプログラムを用意するのです。
ELTでは軸を明確にできるようマネージャーたちに促した上で、ストレッチアサインメントをしていきます。要は、その人の実力よりも少し上の役割や仕事を任せて、秘めた可能性を引き出していくんです。
現場で実力よりも上の仕事と格闘していると、経験を通じてELTでの気づきが定着します。すると次回のELTでほかのメンバーに伝える話題が深まるし、ほかのメンバーの話に対して、より突っ込んで話を聞こうとするようになります。
「真面目ないい人」だけでは世界では勝てない
永禮:八木さんは、ELTでどうマネージャーたちと接しているのですか。
八木:私はGEに勤務していた経験からいわゆるグローバル経営を体験してきましたし、長く人事畑を歩む中でたくさんのマネージャーを見てきました。そこで得た知見から、気づきを促す質問をマネージャーたちに投げかけられる。
LIXILの社員はみんな真面目でいい人なんです。これは誇るべきことですが、LIXILがいよいよグローバルな市場に打って出ているのだから、それだけでは足りません。いい人だけでは、経営はできないんです。
だから、私からはELTでマネージャーたちにこう投げかけるんです。「君たち、一生懸命目先の仕事をしたって経営はできないよ」と。世界の変化を感じ取り、自分たちはどこへ向かうべきかを必死になって考えていかないと、経営はできません。だから目の前の仕事だけではなくて世界の動きを読み解き、自社の戦略はどうあるべきか日々考えることに、今すぐにでも取り組まなければ間に合わない。当然、マーケティングやファイナンスの知識などは最低限必要です。
そうやって投げかけると、「そうはいっても、私はこれまでちゃんと営業組織を動かして商品を売っていますよ」と返す人もいる。そこで私からは、「じゃあ、そもそも営業の本質とは何だ」と問う。この手の質問にまともに応えられるマネージャーは、今までほとんどいません。
永禮:自社にとって営業にはどんな価値があるのかを一段上のレベルで考えていないと、市場や顧客が変わったときには、従来のやり方では対応できないですよね。
八木:そうなんです。要するに、一生懸命やっているだけではせいぜいマネージャー止まりで、経営はできない。今の自分の意識がいかにマネージャー止まりなのか、いかにグローバルで活躍する経営者の意識と離れているのかを、対話を通じて一人ひとりに気づいてもらう必要があるんです。
それに、一生懸命というのは素晴らしいことだけど、どうしても「むやみやたらに長い時間働く」というニュアンスがついて回る。当社の社員はみんな真面目でいい人である一方、「一生懸命働いている」という言葉で自分をごまかして、効果の上がらない行動を繰り返している社員も多い。これだと社員自身が幸せになれない。ELTを通じて、マネージャーにはこの辺の意識を変えてほしいという思いもあります。
もぐらたたき的生き方からは、創造的な発想は生まれないですからね。私だって、四六時中頑張っていたら、疲れ切ってしまっていい仕事なんてできないですよ。
そういう意味では、人事担当者のスキルはどれだけ自分を知っているかだと思っているんです。よい面も、悪い面もです。人間って絶対にアホな側面や弱い側面がありますよね。私はそういう自分の人間くさい部分をだいぶ知っているつもりです。ですから、ELTで社員一人ひとりと向き合いながら、「君、ちょっといま逃げていない?」と突っ込めるんだと思います。私自身に逃げたときの苦い経験がありますから、逃げている人は分かるんですよ。
永禮:単なるマネージャーからリーダーに脱皮するために必要なものとは何か。このテーマを追求していくと、仕事だけではなく人生全体をどうとらえるか、自分自身を単なる会社員ではなく、人という視点からどうとらえるかに行きつくのでしょう。社会や組織を支える一人ひとりのリーダーシップは、人と社会に貢献するホワイト企業、ホワイト企業を支えるクリエイティブ・キャピタルに必要な視点ではないかと思います。
<ホワイト企業>
「ホワイト企業」 付加価値を高め続ける「個人」を育てる組織
イノベーションは、一握りの天才イノベーターの所業でもなく、偶然生まれるわけでもありません。組織のイノベーション力を高めるカギは、価値創造を牽引する「クリエイティブ・キャピタル」(専門知識や技能を身につけ、顧客や社会にとって価値が高い仕事をする人)を組織内で増やし、価値創造に向けた「創造的学習」を促すことです。
この「創造的学習」は新しい価値の創造を目指す活動です。知識の記憶に傾倒する「受験勉強」や、生きる力や個性重視を抽象的に唱える「ゆとり教育」とは異なります。具体的には5つの活動から成ります。「テーマを見つける」「没頭して楽しむ」「実体験する」「他者と交わる」「教え合う」の5つ。こうした価値創造に結びつく学習法を身につけることは80代まで働くことが今後予想される超高齢化社会の日本で、賢くなる人工知能や安い賃金の新興国の労働者と張り合い、就職後50年以上続くキャリアを生き抜くための武器になっていくでしょう。
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