(前回から読む→「あなたは知っている?『いかにもソニー』な異色のデジカメたち」)

ソニーのデジタルカメラを草創期から率いてきたソニーグループ副会長の石塚茂樹さんに、歴史を振り返っていただいていますが、ちょっと気になっていることがあります。

ソニーグループ副会長・石塚茂樹さん:はい、なんでしょう。

急成長が続くのにどうして閉塞感が?

これは石塚さんのキャラクターもあるのでしょうけれど、お話のトーンが「いろいろやったけれど、なかなか売れなかった、突破口が開けなかった」という感じで、予想外なんです。実はもっと自慢話がお聞きできるかと思ってたんですけれど。

石塚:いや、仕事は楽しくやってましたけど、話したとおりですよ。「ソニーらしい個性」がなかなか市場のストライクゾーンに入らなくて、悪戦苦闘していました。

デジタルマビカのヒット(第1回)を経て、ソニーのデジカメを率いることになった石塚さんは、40歳でパーソナルビデオ部門の部長、2001年には、PI(パーソナルイメージング)カンパニーのプレジデントに就任しています。そこから04年、いったん商品事業の現場を離れるところまでを前回で伺いました。で、これは、ソニーのデジタルスチルカメラの出荷台数の推移なんですが……。

ソニーの全世界デジタルカメラ出荷台数(単位・万台 出所:ソニー)
ソニーの全世界デジタルカメラ出荷台数(単位・万台 出所:ソニー)

ご覧のとおり、石塚さんがプレジデントを務めた期間は販売台数はめっちゃめちゃ伸びているわけです。毎年5割増からほぼ倍増という。そしてその後も成長が続きますよね。その期間のお話にしては、なんというか……これで手詰まり感、閉塞感を覚えるものなのかな、と。

石塚:その説明は簡単で、当時は市場全体が伸びていたわけですよ。

あっ、そうか。

石塚:確かにソニーのデジカメは売れに売れて、ビジネスは拡大の一途でした。けれど、それはソニーのデジカメの個性が刺さっていたからではなく、いや、刺さってもいた、と思いたいけれど、「デジタルカメラ」の市場が膨れ上がる時期だったからなんですね。

うーん、ですが、デジカメ事業は追い風に乗ってとてもうまくいっていた、という見方もできそうですけれど。

石塚:はい、数字を見るとそうなんですが、前回見たとおり、あれこれ本格派や個性的なカメラを出してもヒットが出ない。例えば、00年から04年まではずっとT シリーズ(第3回で登場)が支えていました。その後は前回最後にお話しした「Wシリーズ」が中心なんです。12年にコンデジとしては大型のイメージセンサー、1インチCMOSを使う「RX」シリーズが出るまでは、サイバーショットの事業を支えてくれていたのはWシリーズでした。

DSC-W80(2007年4月)。04年から発売されたWシリーズは当初はサイバーショットの最廉価ラインだったが、徐々に機能強化が果たされて売れ筋となっていく。
DSC-W80(2007年4月)。04年から発売されたWシリーズは当初はサイバーショットの最廉価ラインだったが、徐々に機能強化が果たされて売れ筋となっていく。

Wシリーズは、見た目だけで言いますが、私のようなソニーファンからしたらあまり特徴というか、個性がない、言葉を選ばずに言えば「ソニーじゃなくてもいいんじゃないか」と思える商品です。

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