06年当時、コニカミノルタは「α-7 DIGITAL」(04年11月)「αSweet DIGITAL」(05年8月)などのデジタル一眼レフを既に発売していて、1985年以来積み重ねてきた「αマウント(※)」のレンズ資産(交換レンズ群)も蓄積されていました。当時のデジタル一眼レフ市場は、キヤノンとニコンの2強が8割のシェアを抑え、オリンパス、PENTAX、そしてコニカミノルタが残りを分け合う状況でした。石塚さんはコニカミノルタのカメラ事業を継承すると聞いて「いいね!」という感覚だったんですか。(※ソニーと統合後の呼称は「Aマウント」)

石塚:「なるほど」とは思いましたよ。前にもお話ししましたが、自分でもソニーで本格的なカメラを、ということで、サイバーショットのレンズ一体型のデジカメを何度かやっていたんですよね。だけど、いちいち新製品のたびにレンズを作らなきゃいけないから、本当はレンズ交換式をやりたかったんです。ユーザーの方にも、ボディを買い替えてもレンズ資産が引き継げるメリットがありますし。OBの方にも「どうしてレンズ交換式をやらないんだ」とも言われました。でもそのたびに「できません」と。

できないですか。

レンズ交換式なら一眼レフ、と思っていた

石塚:その時点では、まず「ミラーレス」という発想がなかったんですよ。ミラーを付けて、メカニカルシャッターでバシャバシャバシャ、という一眼レフでないと、(レンズ交換は)できないと思っていたから。「なんで一眼レフをやらないの」と言われたら、「あんなすごい部品点数のメカの塊、できません」と言うしかない。怒られましたけれど(笑)。光学ファインダーと合わせてノウハウの塊ですよね。電機メーカーにはその蓄積は全然ない。

やれと言ってもできなかった。交換レンズもゼロからつくることになるし。

石塚:そうそう。レンズ交換式の本格派のカメラをもしやるとなったら、他社とやらないとできないねということになる。ですので、コニカミノルタからの事業譲渡を知らされたときには「なるほど、やっとその時がきたか」と。

「その手があったね、これでやっと本格派カメラの市場に出て行ける」と。

石塚:という感じでした。そしてここから始まるのが、「もっと簡単にうまくいくだろうと思ったら、全然そうじゃなかった」という話なんですね。

ええっと(笑)。

石塚:よくあるじゃないですか。光学のコニカミノルタとエレキのソニー。持つところ、持たないところの組み合わせがいいね、みたいな。

ありますね。期待しますよね。

石塚:お互いのいいとこ取りをすればうまくいくだろう、と思っていたわけです。そして06年、コニカミノルタと事業統合・事業継承して最初のモデル「α100」が出ました。

α100(2006年6月)コニカミノルタから引き継いだデジタル一眼レフの初号機(製品画像提供・ソニーグループ、以下同)
α100(2006年6月)コニカミノルタから引き継いだデジタル一眼レフの初号機(製品画像提供・ソニーグループ、以下同)

石塚:これは、中身はほぼコニカミノルタという感じですね。その後、僕がデジカメ部隊に戻ってからになりますが、「α700」(07年11月)というハイアマチュア向け機、「α200」(08年2月)というエントリー機、「α350」(08年3月)という背面液晶で被写体を確認できる機能(ライブビュー)を持つ機種、が出ます。

で?

石塚:初号機のα100だけはちょこっと売れたけれど、あとはいまひとつでした。

うーん……。確かにこの頃のαシリーズの印象はうっすらとしかないです。

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