1980年代以降の新自由主義に試練が訪れ、新たな規制が世界で導入されつつある。GAFA(グーグル、アップル、メタ=旧フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)に代表される巨大テック企業は、足元の業績が伸び悩んでいても注目の的だ。国際覇権に経済活動が深く結び付けられる状況も、企業経営への制約を強めている。

「無警戒な子供が利用されて個人情報を送信し、ギャンブルなどと結び付くのは危険だ。ソーシャルメディアでコンテンツなのか広告なのか、曖昧なものが多い事実を懸念している」
米連邦取引委員会(FTC)のリナ・カーン委員長は2022年10月、討論イベントでこう語った。32歳という史上最年少で、日本でいう公正取引委員会に当たる組織のトップとなったカーン氏。6年前には「アマゾンの反トラスト・パラドックス」という論文が、米エール大学の法学専門誌に載って注目を集めた。GAFAを含むテック大手への批判的な姿勢は筋金入りだ。この日も「複合的な介入が必要となるだろう」と強調した。
データ社会での様々な制限案は、国際的に再び台頭しつつある規制の代表例だ。米ピルズベリー法律事務所のパートナーだった秋山武夫氏は著書で、GAFAのデータ独占について「従来の反トラスト法では適用しづらかった」と指摘する。検索など多くのサービスは無料で、消費者の不利益を立証しにくいとみられていた。それが変わった契機はフェイスブック(現メタ)が起こした社会問題だ。顧客データが情報分析企業の英ケンブリッジ・アナリティカに流出し、16年の大統領選に影響を及ぼした疑いだった。「国全体への政治的な不利益」という概念がもたらされ、テック企業に厳しい目が向けられるようになった。
各国できっかけは異なっても、このトレンドが広まっている。日本でも20年にデジタルプラットフォーマーに対する法律が制定され、足元ではステルスマーケティングの規制を議論。欧州連合(EU)もデジタル市場法(DMA)を定めた。
経済活動への見直しはテックだけではない。いま、「公正な企業間競争とは何か」や「企業と国家の役割をどう見直すか」を巡って世界が揺れている。規制と自由のバランスが問題となる競争政策や、企業の保護を含む産業政策への捉え方が変わりつつある。かつては市場介入を嫌ったシカゴ学派が脚光を浴びていた一方、現在は巨大企業そのものを危険視する新ブランダイス学派さえ現れている。

米シカゴ大学ブース・ビジネススクールのスティーブン・デイヴィス教授らは、揺れ動く各国の政策に着目。「経済政策不確実性指数(EPU指数)」という数値を出している。欧米の主要国や日本、中国などを含む23カ国について、報道内容などから集計した指数を算出。さらに国内総生産(GDP)を基にウェイト付けし、加重平均でのグローバル指数を公表している。
00年代前半には100近辺で推移していたが、08年以降のリーマン・ショックで金融規制の議論も盛んになると200を突破。米トランプ政権の発足以降は米中対立や新型コロナウイルス禍が重なり、一時400を超えた。いったん落ち着いたかに見えたが、ウクライナ戦争を巡る経済制裁などもあって再び高水準になった。変動性の大きいVUCA(ブーカ)の時代と呼ばれる通り、規制を含む政策論議が盛んになっている。
足元では特に、企業の自由な国際的経済活動が制限され始めた。これまでの約半世紀で、大きな転換点に直面している。例えば1979年から長期政権を築いた英国の故サッチャー元首相は、経済を立て直すべく「小さな政府」を推進し、民間企業の裁量を広げる流れをつくった。81年発足の米レーガン政権も「レーガノミクス」と呼ばれる改革を進め、新自由主義が台頭した。
もっとも、まだこの時点では西側諸国が国内の規制緩和を進めつつ、対外的には貿易問題を抱えていた。レーガン政権で大統領経済諮問委員会(CEA)委員だったウィリアム・二スカネン氏は著書で「米国の貿易政策につき見苦しかったのは、日本との貿易関係に関するもの」と認めている。例えば米上院は85年3月、日本が市場開放を45日以内に同意しなければ輸入削減の手続きを取ると、92対0で可決している。80年代の中曽根康弘政権は日米貿易摩擦の対応に追われ、日本の産業界も鉄鋼や工作機械などが次々と輸出の自主規制に追い込まれた。
それでも、徐々に自由貿易への素地は各国で整っていった。89年のベルリンの壁崩壊や91年の旧ソビエト連邦解体を受け、冷戦が終結。そうしたタイミングでインターネットが普及し始め、外国との通信コストは一気に下がっていく。このため貿易も飛躍的に拡大できる構造となり、国際経済学者のリチャード・ボールドウィン氏は「グレート・コンバージェンス」(大いなる収れん)と呼んだ。慶応義塾大学の木村福成教授は「それまでの貿易は業種ごとの国際分業で、品目も原材料と最終製品に偏っていた。この時期を境に産業ごとでなくタスク別で各国に仕事を分け、中間材や部材も貿易するようになった」と解説する。
さらに95年には世界貿易機関(WTO)が設立され、本格的にグローバリズムの時代を迎えた。この頃には、西側諸国が共産圏への輸出を制限する枠組みだった対共産圏輸出統制委員会(ココム)を解散させており、政治的にも実務的にも新たな時代を実感できたのではないか。2001年には中国がWTOに加盟し、明るい雰囲気が醸成された。企業にとって、より国際的なサプライチェーン(供給網)を組めるようになったのも利点だった。
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