日本ではトップに立てないが、どこかの国でそんな景色を見てみたい――。スズキを世界的な小型車メーカーに育て上げ、カリスマ経営者として名をはせた現相談役の鈴木修が40年以上前に抱いた夢がインドで花開いている。巨大市場で約4割と今なお高いシェアを誇る強さの源泉について、現地法人マルチ・スズキ・インディアの社長、竹内寿志に聞いた。

 スズキがインドでの自動車生産に基本合意したのは1982年。2022年は40周年の節目だった。

 スズキの21年度(22年3月期)の連結売上高は3兆5683億円。その3分の1(1兆1744億円)はインドでの売り上げだ。自動車の販売台数では全世界合計270万台のうち136万台をインドが占めた。

 23年1月、スズキがインドで販売した自動車の数が累計で2500万台に到達した。それぞれの購入者は家族や友人を乗せるだろうから、スズキ車に乗ったことのあるインド人は少なくとも1億人以上。タクシーなどでも活躍しているので実際にははるかに多いはずだ。スズキ車を体験している人は日本よりもインドの方が多いのである。

スズキのインド事業40周年の記念式典で言葉を交わすインドのモディ首相(左)とスズキの鈴木修相談役(写真:ロイター)
スズキのインド事業40周年の記念式典で言葉を交わすインドのモディ首相(左)とスズキの鈴木修相談役(写真:ロイター)

 1981年、インド政府は国民車をつくるためにマルチ・ウドヨグ社を設立。翌年、鈴木修の決断でスズキは26%を出資する合弁パートナーとなり、83年12月に第1号車「マルチ800」の生産・販売を始めた。

 2002年、スズキは出資比率を約54%に引き上げ、マルチ・ウドヨグ社を子会社にした。07年にはインド政府が全保有株式を手放し、完全に民間化された。それを受けてスズキは社名をマルチ・スズキ・インディアに変え、主導色を明確にした。

 1980~90年代にはマルチの市場シェアは50%を超えていた。その後、50%を割り込んだ時期もあったが、2017年度(16年4月~17年3月)から19年度にはいったん回復。新型コロナウイルス禍以降は半導体の不足もあり、21年度は43.4%となった。シェア50%の奪還が同社の当面の目標だ。

 現在、マルチの社長を務めているのが竹内寿志。スズキ本体では常務役員に就いている。鈴木修の秘書などを務めた後、ハンガリーやオーストラリアで勤務。本社の四輪インド部長などを経て21年にマルチの副社長に就任し、22年、社長に昇格した。

 以下、竹内のインタビューである。

市場の成長ポテンシャルは大きい

 竹内は冒頭、こう話した。

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