火事、倒産、離婚…全て失って気づいた「やりたい仕事」
その時、絶望せず生きられたのはなぜなのでしょうか。
佐藤氏:1つは母親の存在です。母がいなかったら死んでいたかもしれません。もう1つは、ラッキーなことに借金が2000万円ほどあったことです。やりたいことはなかったけど、やらなければいけないことはあった。それから5年間、寝る間を惜しんで猛烈に働き月に37万円くらいずつ返済していきました。
挫折を経て、飲食業で再起をはかったのはなぜだったのでしょうか。
佐藤氏:返済が終わったのは33歳の時でしたが、その2年前にいつかまた事業をやろうという思いから有限会社バルニバービをつくっていたんです。完済の3カ月くらい前から「これでやっと好きなことができる」とワクワクした気持ちでいっぱいでした。
1994年の秋頃に完済したのですが、それから数カ月後に阪神大震災が起きました。神戸は大学時代、起業してからも暮らしていた縁の深い街です。少しでも役に立ちたいと思い、料理が好きだったことから炊き出しを手伝いに行きました。
炊き出しは、塩とごま油だけで味付けした1杯100円のおかゆでした。それを皆さんが口々に「おいしい」「ありがとう」「生きててよかった、頑張りましょう」と言って喜んで食べてくれた。おかゆをよそいながら、涙が止まりませんでした。「食べ物ってこんなに人の力になるのか」と衝撃を受けました。そして子供の頃、料理を作ると祖父母や母が喜んでくれたことを思い出しました。「人を喜ばせると、自分自身がこんなに喜べるんや、これを一生の仕事にしたい」と33歳にしてやっと気づくことができました。

飲食業こそ、不動産を取得せよ
「食で人を喜ばせる」というお金以外の目標が見つかり、「自分が幸せだと思うことを仕事にする」が経営哲学の1つになったのですね。
佐藤氏:それにもう1つ、後から加わったのが「好きなことを仕事にして、しっかり稼ぐこと」です。「好きな仕事ができればもうからなくてもいい」とは僕は絶対に思いません。家の1軒くらい購入できる程度の給与を払える会社でありたいと思っています。
しかし今の飲食業のシステムでは、豊かな生活ができるのは経営者とナンバー2くらいまで。それより下は月給25万円で我慢するというのが、多くの飲食業の現状でもあります。
それはなぜでしょうか。
佐藤氏:収益性が低いからです。飲食業の経費は5大要素の比率が大体決まっています。食材費(Food)30%、人件費(Labor)30%、家賃(Rent)が10%、そこに減価償却と水光熱費、その他を合わせて25%が加わります。家賃と減価償却は立地がいいと当然高くなります。大手のビルは売り上げに対する歩合で家賃が決まることもあり、百貨店では20%といわれることもある。それでは利益として残るのは5%と非常に少なくなります。
飲食店は収益性が高いところでも10%程度。1000円のランチを売って100円利益があればいい方です。
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