国内でレストラン、カフェなど93店舗を展開するバルニバービ。あえて注目度の低い地域に出店する「バッドロケーション戦略」をはじめ、独自の経営戦略で着実に店舗数を伸ばしてきた。大阪・南船場、東京・蔵前などは、同社が繁盛店をつくりだしたことで活性化した街といわれる。2015年以降はそのノウハウを地方の再活性化に注ぎ、19年、淡路島にレストランを出店。21年夏には同社の店舗の中でもトップクラスの売り上げを誇るようになっている。さらに宿泊施設、パン屋、回転ずしなどを出店し、22年6月までに年間25万人が訪れる人気エリアを築き上げた。23年4月には島根県出雲市にレストランとホテル、ドライブインをオープン予定だ。「食から始まる地方創再生」を掲げる佐藤裕久会長に、その経営哲学を聞いた。
(聞き手は日経ビジネス電子版編集長、原隆)

「バッドロケーション戦略」をはじめバルニバービの経営戦略は実にユニークです。どのような経営哲学が背景にあるのでしょうか。
バルニバービ佐藤裕久会長(以下、佐藤氏):1つは「自分のやりたいことを仕事にすること」です。飲食業を始めた原点は「本当に幸せを感じられる」と思ったからです。
今でこそこんな私ですが、24歳で初めて起業した時は「お金を稼ぐこと」が目的でした。僕は京都にあるお菓子屋を営む家に生まれたのですが、子供の頃から生活は決して豊かではなかった。僕の野球のグローブは友達に見せられないくらいみすぼらしかったし、盆やクリスマスは店の手伝いで楽しむ暇はありませんでした。
当時の記憶で今も鮮明に残っているのは、歯を悪くしていた母が「お父さんが治療費を出してくれないの」と泣いていたこと。子供ながらに「僕が大人になったら稼げる人になって、絶対に治してあげる!」と言った覚えがあります。僕にとって、仕事は「飢えからの脱却」でした。
大学在学中からイベント運営などを手掛けて、年収が400万円程あったと聞きます。
佐藤氏:当時はお金をもうけることが全てだったので仕事内容は何でもよかったんです。大学を中退して24歳の時にアパレル業で起業、25歳で年収2000万円ほどありました。ポルシェに乗り、芦屋の山手のマンションに住んでいました。それらを27歳の時に全て一瞬で失いました。
まず、大みそかに火災で自宅を失いました。除夜の鐘とサイレンが同時だった。それから3日後に独占契約を結んでいたパリの人気カジュアルブランドが倒産していることが分かりました。また3日後には、出店先の百貨店から「2店舗を閉めてほしい」と通告されました。当時人気が急上昇していたアパレルブランドを代わりに入れたいというのが理由でした。メインの取引先、2軒のブティックを失い、半年後には会社を手放すことになりました。
全て失って気づいたことがあります。僕は小銭を稼いで「自分は偉いんや」と勘違いしていた。しかし、いい車に乗り、いい家に住んでもどこか幸せではなかった。「お金を稼ぐこと」が目標だったのに、「自分はお金では幸せになれない」と自覚したんです。
元の会社のスタッフは皆、僕の元を去りました。我が身を振り返ると「当然やな」と思いました。
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