長く霊長類の研究を続けた京都大学名誉教授、故・伊谷純一郎氏が記した1冊の本がある。高崎山のニホンザルの生態研究をしたためた『高崎山のサル』(1954年)。伊谷氏の長期間にわたる徹底的なフィールドワークによって、高崎山のニホンザルたちの生態系が初めて世につまびらかにされた本だ。
記録によれば、伊谷氏が茂みをかき分けながら山に入ったのが1950年4月。その約3年後の53年、高崎山自然動物園(正式名称は瀬戸内海国立公園高崎山自然動物園)が開園した。今年の3月15日、70周年を迎えた。
その高崎山に異変が起きている。2021年6月、高崎山自然動物園の飼育員らは頭を抱えながらも、高崎山の過去の記録にも残っていないその異変を認めることとなった。ニホンザルは通常、群れ全体の第1位はオスザルと決まっていた。だが、「ヤケイ」と飼育員たちが呼ぶメスザルがその座についていることが認められたのだ。
一時的な異変と思っていた飼育員たちも、2年近くその座に君臨し続けるヤケイの姿を見て、考えを改めた。なぜニホンザルの社会でこのような変化が起きたのか。32年にわたって高崎山自然動物園で飼育員を務めている大分市商工労働観光部観光課大分市高崎山管理センター専門員の藤田忠盛氏に話を聞いた。
(聞き手は日経ビジネス電子版編集長、原隆)

高崎山で21年7月にボスザルがメスザル「ヤケイ」になったと聞きました。これは珍しいことなのでしょうか。
藤田忠盛氏(以下、藤田氏):高崎山自然動物園にとって初めてのことです。最初に申し上げておきたいのは、便宜上を除いて、我々は現在、「ボスザル」という呼び方をしていません。人間がイメージするボスザルといえば、どうしても群れを統率して引き連れて歩くイメージをもたれがちですが、実態は違います。我々はトップの座にいるサルを「第1位」と呼んでいます。
では、第1位はどうやって決まるか。ニホンザルは通常、群れの中でオスザルとメスザルで別々の社会をつくります。大人のオスザルは互いのけんかを避けるために、明確な序列が設けられています。基本的には群れに入った順です。人間社会でいえば、入社年次主義のような感じでしょうか。同じ群れの中ではよほどのことがない限り、オスザル同士の争いはありません。
闘争の果てにボスザルに上り詰めるという印象を持たれがちですが、実は逆。サルたちは争いを避けているのです。なぜこのような社会になっているか。
一説によれば、オスザルはメスザルと異なって犬歯があり、けんかになって相手に致命傷を与えかねないためといわれています。そのため、第1位のサルは決して力が強いわけではありません。力を失った高齢なサルがトップになることもあれば、逆に上位のサルがいなくなれば年齢が若くても第1位になることもあります。
群れ全体の第1位はオスザルの第1位。これが、これまでの常識でした。そして、第1位が群れから姿を消したら第2位が第1位に、それに引っ張られて第3位が第2位に上がる。そういう序列構造でした。そのため、メスザルのヤケイが第1位になるためには、このオスザルの序列の中にあらかじめ食い込んでいる必要がありました。
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