自分は文系か理系か――。日本の教育が文系と理系に分けられたのは、第二次高等学校令が発布された大正時代の1918年とされる。理系の実験設備はお金がかかるため、明治時代から日本は学生数を絞らざるを得なかったという背景がある。
文理の歴史はそこから続いているものの、高校教育という早い段階で分けてしまうことが、各学問の多様性をそいでしまってはいないだろうか。また、最近は社会人のリスキリングの重要性が喚起されているが、文系出身も理系分野のリスキリングをしたほうがいいのか。人的資本について、教育機関の観点から東京大学工学部の染谷隆夫工学部長に聞いた。

工学部長の視点から、なぜ多様性の促進は大事だと思いますか。
東京大学工学部長・染谷隆夫教授(以下、染谷氏):社会が直面する課題は複雑化していて、変化スピードも速い。人々の価値観やライフスタイルも変わっている中で、「これが課題解決の正解です」というものはありません。だからこそ、課題を持つ人と、課題解決に乗り出す人が一緒に連携して話し合って解決に向かわないといけないのです。
工学の視点では、昔は何を作ればいいのか分かっていました。自動車やコンピューターなど、機能のいいものを安く作る。しかし今は、人々は何が必要なのか、何が欲しいのかが分からない前提に話をしないといけません。エンジニアが自分の視点だけで「きっとこれがいいだろう」と思うのではだめで、課題を持つ人と一緒に解決を見いだす必要があります。技術の発展や重要性はもちろんですが、社会的な需要を的確に捉えることが求められていると思います。技術をどう社会に生かすのか、人々の幸せは何かを考えるのは、どちらかというと理系課題ではなく、文系課題なんですよね。
日本では高校2年生くらいから文系か理系の選択を迫られることが多いです。
染谷氏:中高生と話をしていると、中学生のうちに「将来は医者になりたい」などと決めていることがよくあります。志を高く、夢を持って進路に向かうこと自体は素晴らしいです。しかし、中学生の段階では世の中の仕組みもどのような仕事があるのかも分かっていない。早めに進路を決めて、それ以外の選択に興味を閉ざしてしまうことは大変な問題です。これは日本の初等中等教育、大学教育における大きな課題だと感じています。
デジタルやデータの活用、先端技術への理解なくして、未来社会を構想することはもうできません。文系や理系に関係なく、できるだけ多くの人が興味を持ち、理解を深め、どういう未来にしたいのかを考える必要があります。
とはいえ、AI(人工知能)の理解といっても、AIのディープラーニングの新しいアルゴリズムを自分で作るとか、そういうことを求めているわけではありません。そうではなく、「技術を使ってどうしたいか」などを考えてほしいのです。
「対局にある部分はいつでもある」
そもそも文理に分ける文化についてはどうお考えですか。
染谷氏:いろいろ複雑になったときに、二極化した単純な議論の中に正解はないです。学問も社会問題も、結局は分野に分けることができないくらいぐしゃぐしゃで、それを専門家が集まって解決を目指していますよね。専門性のない、中途半端な知識がある人だけが集まっても解決しませんが、専門家も他の人と知識を融合したり、つないだりできる力がないと困ります。
ただこれは文理に限った話ではありません。例えば、医工連携にも壁があって、どう融合するかが重要です。患者さんと直接会っているのは医学部の先生で、エンジニアの提案の採決権を持っている人でもあります。エンジニアは素晴らしいデータ活用案があると思っていても、患者さんと向き合っている側は受け入れられないこともある。
こういうときは、対等な立場で対話すること以外にありません。双方が真剣に向き合っていると、当然亀裂が生じます。相手の立場を尊重して、双方の折り合いをつけていいものを探す。その葛藤の中で、新しいものは生まれるのです。学問をつないで新しいものを生み出すためには、対極にある部分はいつでもありますから。
需要や求められていることを知るために多様性が大事ということでしょうか。
染谷氏:その通りです。同じ価値観の人たちだけで考えていると、同じアイデアしか出てきません。同質なものが集まると、異質なものは排除される傾向にある。否定せずに、きちんと聞きながら見直す。これには相当な力量が必要ですけどね。
例えば、若い人はデジタルネーティブで、会社の役員よりも若手の方がデジタルは分かっている。しかし、それを聞いて受け入れられるかは、上の人の器量が求められますよね。なので「分かっていない人を説得するくらいなら、自分でやったほうがいい」と判断して起業するのが1つのトレンドになっています。
とはいえ、インターネットの世界では若い人だけで事業が発展するケースもありますが、ディープテック系はそんなに甘くありません。こうしたら何かできるかもしれないという原型がやっとできました。それを品質管理や、量産してコストを下げるとなったときに、スタートアップだけでは販路の確保や製品保証も難しい。それらのノウハウを持っているのは大手企業ですよね。乗っ取りだとか、大企業のロジックの押しつけではなく、肩を貸してあげるような関係ができればいい。大企業にとっても創業時を思い出して、良い刺激になりますから。
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