新規事業創出の専門家である守屋実氏の連載第5回は、事業の「勝ち筋」についてです。事業において勝ち筋は非常に重要ですが、何が勝ち筋なのかを明快に答えられる人は多くはないと守屋氏は言います。そこで今回は勝ち筋の構築について、守屋氏が手掛けたラクスルを例に取って解説してもらいます。
さらに、勝ち筋の後に現れる「スケールデメリット」についても取り上げています。コト(事業)・ヒト(組織)・カネ(資金)に分けて現象を理解しておくことで、いざ自身の事業がスケールデメリットにぶつかったときに向けて備えることができるはずです。

「勝ち筋」とは何か
僕は「勝ち筋」という言葉をよく使っています。しかし、この言葉の浸透度はそれほど高くなく、「勝ち筋を教えてください」って質問をすると、「勝ち筋ってなんですか?」と質問を質問で返されてしまうことが、よくあります。
事業において、勝ち筋はとても重要な概念です。定義はいろいろあるのかもしれませんが、僕にとっての勝ち筋は、「その事業が成長、成功するための戦略ストーリー」で、因数分解をすると、下記のようになります。
- 勝利の物語=その事業の成長、成功の肝となる部分を、文章で表したもの
- 勝利の数式=その事業の成長、成功の肝となる部分を、数字で表したもの
これだけでは、なかなか「なるほど!」と納得するまでに至らないと思うので、ラクスルの印刷EC事業の「初期の初期の勝ち筋」を例に挙げて、「勝利の物語」と「勝利の数式」について説明をしたいと思います。
ラクスルの勝利の物語
13年前のラクスル創業当時、印刷会社によるECサイトはすでに存在していたのですが、印刷に詳しくない人からすると、決して分かりやすい状態ではありませんでした。
例えば「4色カラー8ページの冊子を3000部刷ると3万円です」と言われたとしても、それに対して「安い!」と反応できるでしょうか。印刷に詳しい人でなければ、印刷費用の安い・高いの相場観はよく分からないでしょうし、紙の厚さが標準なのか厚手なのか、紙の種類は何かでも、値段は倍以上変わったりします。
その中で、お客様が唯一相場観を持っているのが名刺でした。そこで、ラクスルは印刷ECのメリットである「安さ」を伝えるために、「ワンコイン名刺」と銘打ち、100枚わずか500円という、当時としては破格の価格を看板に掲げたのです。これはスーパーのチラシでいう特売の卵(客寄せ商品)の役割を果たしたといえます。
ただ、そのまま「名刺だけ」の注文が繰り返されてしまうと、商売的にはかなり苦しい。しかし、名刺を取っ掛かりとして、注文の幅が「チラシ」まで広がると、事業としての成立が見え始めます。
では、チラシの注文をもらうためにはどうしたらいいか。簡単に注文ができる、早く刷って納品する、他社より安い価格で提供……など、努力のしどころはたくさんあったのですが、顧客の解像度を上げて必死に考え、動き、試しまくっていく中で、「ラクスルだけのユニークな価値」に行き着くことができたのです。
それは、大量のチラシを注文したお客様は「刷る」だけでなく「配る」ことにも困っていた、ということに気付けたことから始まりました。「刷る」をラクスルが解決したとしても、「配る」については、新聞折り込みをするなら新聞配達会社に連絡を取って「この価格でこのあたりのエリアに配りたいのですが何軒くらい配れますか」といったことを確認し、新聞折り込みがイマイチならポスティング会社に当たり、しかも「刷って配る合計予算」に収めるために振り出しに戻って印刷部数から考え直さなければいけない、なんてこともあるかもしれません。すごく面倒ですよね。
このような状況を目の当たりにし、「刷る会社」である印刷会社を束ねるビジネスモデルのラクスルが、新聞折り込みの会社やポスティング会社などの「配る会社」も束ねて、「刷って配る」という「顧客の困り事の一区切り」に合わせて価値提供を実現していくことにしたのです。
しかもその価値は「顧客にとっての便利」だけでなく、ラクスルにとっても「大きな価値」でした。チラシは、刷るだけなら1枚1円なのですが、刷ってポスティングすると1枚10円になるのです。つまり、ユニークネスに加え、「顧客単価10倍」も併せて実現することができたのです。
果たして、ワンコイン名刺からのスタートが、顧客のニーズに合わせてバックエンドを再構築することで、10万円のポスティングにまで発展する「ラクスルわらしべストーリー」がここに成立したのです。印刷を「ラクに刷る」のラクスルから、商売を「ラクにする」のラクスルに進化した瞬間でもありました。
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