具体的にはどんな開示になりますか。

伊藤氏:まず、今の経営戦略やビジネスモデルと、今いる人材がどのぐらいマッチングしているか。中期経営計画でうたう新規事業、ビジネスモデル、経営戦略と今の人材の能力とのギャップを、どうやって埋めていくかということです。

 いろいろなやり方があります。経営者がどんな人材育成ビジョンを描いているか。それは投資家だけではなく学生や中途で入りたいと思っている人たちにとってもすごい(プラス)メッセージになります。資本市場だけではなくて、労働採用市場にも、インパクトがあるでしょう。          

 従来のOJT(職場内訓練)だけではできません。VUCA(ブーカ、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代に、全部「仕事が人を育てる」では無理です。環境が非連続で変わる時代に、仕事を与えればできるでしょ、というのはちょっとプリミティブ(原始的)と思います。

独自の指標をどう打ち出すか

 非財務情報には大きく分けて2種類あります。1つは他社と比較できる情報。女性管理職比率だとか、男性育休取得率だとか、比較可能性を重視した情報。もう1つは自社の独自の取り組み。前者はすぐ比較できますが、そこで止まってしまいがちです。もちろん女性管理職比率が今10%なのをどうやって20%、25%にするかのシナリオを描けているところはいいですが。やはり後者の独自性のある取り組みをうまく情報開示すると、投資家にとって「なるほどね」ということになります。

 例えば、マンションを買いたいとき、まず地域や間取りを見るでしょう。現地に行けたらいいですが、実際には行けないので、平面図を見る。そこでメタバースみたいに、あたかも中に入ったかのように見ることができれば購買意欲はそそられます。情報開示でも、読み手のイマジネーションを具体的に引き出せるようなところまでできると、響きます。「これならこの経営戦略が実行できる、キャッシュフローに結び付けられる」と思えるでしょう。そこまでやれるかどうかです。

人的資本以外の非財務情報で大事なのは何でしょうか。

伊藤氏:経営者にとっても重み付けは違うでしょう。ただ、例えばDX、ESG(環境・社会・企業統治)、人材、二酸化炭素(CO2)排出問題と、それぞれについて技を磨かないといけません。それぞれ技を磨いた上で、環境変化に応じて組み合わせて臨機応変に勝負する、まさに総合格闘技力が大事です。今まで日本企業は「これだけやった」と言ってきましたが、格闘技として生かす発想があまりなかったと思います。人材だけ磨いても、全然成長しない分野に間違えて投資したら、磨いた人材は生きません。そういう意味での総合格闘技力をどう磨いていくかがすごく重要です。

 だからこそ、これからの経営は難しい。構成する変数は増えたし、経営の空間が広まった。大変だと思います。10年前の3倍、5年前の2倍は難しくなっています。

 何が一番高いプライオリティー(優先度)ですかと言われれば、それは人材ですよ。CO2問題だって、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)で何年に何%まで減らしますと開示しても、担い手がいない限り、実現できません。そういう意味では、ガバナンス・規律意識と人的資本戦略がうまくつながってくると面白い。野放図にお金ばかり出してもしょうがないわけです。

 よくESGと並べて書きますが、大事なのはGです。その会社の取締役会などがしっかりしていれば、その時代その時代で要求されるEやSの水準が変わっても対応できます。今は2050年にカーボンニュートラルでいいですが、もし2040年にカーボンニュートラルを達成しなければならないとなって(流れに)置いていかれたら企業はアウトです。対応できるように取締役会できちんと議論していくことが大事です。人権問題でも、5年後10年後はもっと厳しいかもしれません。

強靱(きょうじん)性のある一貫したストーリーが重要

そもそもGをどう評価するのでしょう。

伊藤氏:投資家だってボードルーム(役員会室)には入れませんから、類推するしかありません。人的資本の開示が始まっても研修の場には行けません。前述したメタバースなのです。あたかもボードルームに入っているかのように語れる開示をできるか、経営者と話をすれば取締役会に入ったような感じになれるか、がすごく大事なのです。だからこそアクティビスト(物言う株主)は自分たちをボードに入れろと言うのです。

 大事なのは(特定のKPI項目ではなく)、ある種の強靱(きょうじん)性です。経営者が言っていたことと今やろうとしていることが一貫していること、整合していることだと思います。強靱性のあるストーリーにしなくてはいけません。

開示で企業はよくなりますか。

伊藤氏:情報を開示するようになると、人間なので「よく見られたい」と思うのです。レベルアップしようというモチベーションが働きます。開示することでピリッとしてもらって、実態をレベルアップしようということです。仕事が人を育てる一辺倒ではちょっと困りますよ、ということです。

 人材ではありませんが、気候変動の情報開示がその脱炭素に向けた行動を早めたという例はあります。例えばTCFDの(サプライチェーン全体の排出量を算出する)CO2のスコープ3の開示はすごく影響が大きい。ビジネスモデルを変えることにつながっています。TCFDの情報開示のフレームワークである「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」は、非財務情報の可視化において世界共通の基盤です。

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