(前回『「年をとったらハンバーガー!」老後も介護も常識を疑え』から読む)

NPO法人となりのかいご代表 川内 潤さん(以下、川内):そういえば学生のときに、「目の前の人をケアしているだけではその人1人すら支援できていないんですよ。その後ろにいるご家族も含めて支援をしたら、初めてやっと1人分ですよ」と言われたんですけど、当時は意味が全然分からなかったんです。

家族が介護の手強い障害になるとき

川内:でも、看取りのときにご本人が、「息子や娘は今日も元気でいるか」ということをすごく気にするんですよ。こちらとしては「もうそんなこといいじゃないですか」と言いたくなるんです。あなたが苦しいとか痛いとかつらいとか、訴えるとしたらそっちじゃないですか、と。

 だけど、そんなことはないんですよね。「自分が何を残せたか」「残した子どもたちが幸せか」ということがすごくご本人にとって大事で、またそれが気持ちの支えになったり、つらさの緩和になったりする。ご家族を大事にすることが本当の意味での本人への支援になるんだと思って、やっと、「あ、そういう意味だったんだ」と理解したんです。

 ですので、今、おっしゃっていただいたように、やっぱりご家族にどう親御さんと同じ方向を見てもらえるか、ベクトルを合わせていくかがすごく大事なんですけど……。やはり、時にご家族自身が阻害要因になることがありまして。

医療法人社団悠翔会理事長・診療部長 佐々木 淳さん(以下、佐々木):時にというか、しばしばですね(笑)。

川内:そうなんですよね。仮に間違っていると思っても、ある程度ご家族の意見は受け入れつつ支援を届けるべきなのか、ここも悩むところなのですが。

佐々木:やっぱり家族ごとに家族の関係性って違うと思うんですよね。

川内:そうですね。

医療法人社団悠翔会理事長・診療部長 佐々木 淳さん(写真:大槻 純一、以下同)
医療法人社団悠翔会理事長・診療部長 佐々木 淳さん(写真:大槻 純一、以下同)

佐々木:例えば意思決定の形にしても、自分で決めたことのない世代の人たちが多いから、「家族みんなのコンセンサスで決める」ことになる場合が多いじゃないですか。以心伝心とか、あうんの呼吸とか、言わなくても分かるよねという関係性の中で、いろいろな意思決定をしたり、状況判断をしたりしているので、親の介護でもその癖が付いているんですね。

あうんの呼吸、以心伝心でやろうとする。

佐々木:だから「家族でなければ分からない」とか、「本人だけでは決められない」とか、ふわふわした状況の中での意思決定は、誰が決める、ではなくて「家族みんなの意向」みたいになっていく。

川内:親の意思とは違うかもしれないけれど、家族みんながそう思うからそうしよう、と。

佐々木:そう、「家族の多数決の結論が老人ホームへの入所なんだ、おばあちゃん、悪いな」みたいな感じで決まることは結構あるんですよね。

川内:そうですね。あります。

佐々木:つまり、本人にとっての利益は何かということよりも、「家族として責任を果たすにはどうすべきか」みたいな、おかしな観念論が出てきて。

川内:そこです、そこです。

佐々木:「一人暮らしで置いておくわけにはいかないだろう」みたいな“世間の常識”で決まったりするんですよね。

川内:そうでしょうね。僕は「年寄りの一人暮らしがダメって、誰が決めたんですか」って、本当はもうちょっと丁寧に言いますけれど、ご家族に聞いちゃいますよ。どうして1人で置いておけないと思うんですかと。病気の症状が理由という場合もあるかもしれないですけど、やっぱり「社会的責任」というか、「老親を一人暮らしさせている子ども」と見られるのはイヤだ、という気持ちとか、そのあたりが大きな理由になっていて、かつ、意思決定している人がそれに気付いてない、そんなケースが多い。

佐々木:そう。親のためじゃなくて自分のための意思決定をしているんですよね。無意識のうちに。だけど本人は、それは親のためだと思っているんですね。

川内:そうなんです。

佐々木:でも実は親のことを家族はあまりよく知らない。

川内:私もそう思っています。

佐々木:だって自分が生まれる前の親のことはよく知らないし、離れて暮らしていたら、親が今どういう気持ちで生活しているかもよく知らないし。

全然分からないですね。

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