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『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』
『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』

 こんにちは、編集Yです。
 このたび、自分の親の介護の七転八倒を、NPO法人となりのかいご代表の川内潤さんとの共著でまとめた本を出しました。

 その最中に気付いたのは「親との距離感の重要さ」であり、「親の介護を考えることは、自分の生き方、ひいては死に方を考えることにつながる」ということです。

 今回のゲスト「爆笑問題」の太田光さんは、親御さんとの距離感が非常に大人で、それゆえに見事な看取りができたのだろう、と思います。しかし、それが誰にとっても理想のお別れ、ではもちろんありません。

 自分自身の、親との別れ方、そして自分の生き方、死に方を考えるのにまたとない話を聞くことができた、と思います。ちょっと長いですが、時間のある折にごゆっくりどうぞ。

爆笑問題・太田光さん(左)、NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(右)(写真:大槻純一、以下同)
爆笑問題・太田光さん(左)、NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(右)(写真:大槻純一、以下同)

 太田光さんが、お母様がお好きだった越路吹雪の歌を一緒に聞きながら、最期の時間を過ごされたお話を伺っています。

NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(以下、川内):介護の仕事でたくさんの方とお会いしますが、「母親はいま満足しているだろうし、自分も納得している」と、ご自身で思える方は意外に少ないんです。この納得感がないと、介護も看取りもかなりつらいと思うんです。

 親の望みをかなえられない、何もできない自分、と、自責の念に駆られそうです。

爆笑問題・太田光さん(以下、太田):望みも人それぞれだし、普段「うちの親は」って考えることもなかなかないだろうし、その場にならないと分からないよね。

川内:介護の相談でよく言われるのは、「ほかの人ってどうされているんですか」なんですよ。

太田:ああ、そうなのね。

川内:そしてこれも介護を通して知ったんですが、本当に、人によってやりたいこと、望みは違うんです。なので、ほかの人の話はどうでもいいんです。

太田:本当、そうだよね。それで聞かれたらどうするんですか。

川内:そう聞かれたら、さっき太田さんに聞いたみたいに、「どういうお父様、お母様なんですか」「ご自身とお父様、お母様はどんな関係なんですか」と、改めて尋ねて、ああ、そういう親子関係だったんだ、と、改めてなんというか、ご本人にインストールしていくわけです。

太田:そうだね、親子関係だってみんな違うから、そこから照らし合わせて考えないとね。

「最期に音楽なんて聴きたくない」人もいる

川内:面白いのは……いや、そういったら不謹慎なんですが、興味深いのは、介護が始まるとなると、今まで年に1回も会ってなかった親を、ここぞとばかりに旅行に連れていこうとされたりするんです。

太田:ああ、そうか。

川内:でも、大人になってから一緒に旅行したことがない。だからどこに連れていったらいいか分からないわけです。そもそも、親御さんは旅行に行きたいのか、しんどいだけかもしれない。家でのんびりしていたいかもしれない。何が言いたいかというと、介護では親がしたいことよりも、子どもの側が「(自分が)親孝行をしたい」という気持ちを優先してしまう。これは本当によくあるんです。

太田:親の面倒をちゃんと見ている、という、形を求めてね。

川内:そうです。だから、「太田さんがお母さんを一緒に越路吹雪を聞きながら看取った」というお話は、私は自分の心の支えにしているくらい美しい、と思っているんですけれど、だからといって……例えば、歌が嫌いな人もいるわけじゃないですか。

太田:そうなんですよ(笑)。「やかましい、静かに旅立たせろ」という人も絶対いるよね。

川内:素晴らしいお話だと思うけれど、じゃあみんながみんな自分の親と、好きな歌を聴きながらお別れするのがいいかといえば、まったくそんなことはない。

太田:もちろんそうだよね。

川内:だけど、どうかすると、そうか、これが「美しい形」なんだ、自分もそれでいこう、と、自分で考えずに結果だけのみ込んでしまいがちじゃないかな、とも思うんです。

 自分の頭で考える時間を取るためにも、親との間には距離が必要、というのが、この『親不孝介護』の通奏低音でもあります。

川内:そうそう。「親のそばにいて面倒を見るのが親孝行」という“常識”に屈して、親がほんとうに望んでいることや、自分の家族、仕事を犠牲にしてしまう人があまりに多いです。

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