太田:うん。俺が本当に家に帰らなかったから。おやじが倒れてからもずっとおふくろが面倒をみていたんです。いってみれば老老介護ですよね。よくやっていたなと思うし、俺も何もしなかったから親不孝なんだけど。本当にもう起きられないわけですね、おやじは。おふくろが全部たぶん、トイレとかもやっていたんでしょう。
川内:お父様はどうして倒れられたんですか。
太田:くも膜出血だったかな。それが正月だったんですよ。
川内:えーっ、そうでしたか。
太田:そこから2年ぐらいずっと入院していたかな。埼玉の病院にいて、ただもう心筋梗塞と脳梗塞、どっちもやっていたので、体の片側がほとんどまひして、でも一応「光だよ」とか話し掛けると、「うーっ」とかって、分かっているんだか、分かってないんだかという感じで反応はする。
休みとか時間が空くと病院に行って、おやじとちょっと、まあ、会話にもならないんだけど、話し掛けたりとかしながらやっていて、たまたま俺が東京を離れているときに亡くなったんですよ。
川内:そうだったんですね。
太田:だからおやじの死に目には会えてないんです。もういずれ、この状態ではというのはありましたけど。ただ、今って、病院に入っちゃうとこれが延命できちゃうからね。
川内:やろうと思えば。そうなんですよね。でもされなかった?
太田:うん。
翌日、コーラスに出るつもりだった母
川内:お母様の最期のときに、太田さんは、延命措置か、お母様が楽になるための薬を医師から提示されて、薬を選択されたじゃないですか。あれは、どうなんでしょう。戸惑いとか、「いや、まだ逝ってほしくない」とか、そんな気持ちはありませんでしたか。
太田:いや、それはもちろんありましたよ。だってうちの母親は本当にその前日まで、ホームでぴんぴんしていたので。
川内:コーラスですよね。
太田:そう。コーラスの発表会に出るのをすごく楽しみにしてましたから。だけど体調を崩して出られなくなって、すねて、一人でタンスの整理しようとしていたら、その最中に尻餅をついてしまって、それがきっかけで。
川内:そうでした。太田さんも「まさか」と思われたと思うんですが。
太田:そうですね、でもそれまでにも、ちょっと転んだだけで肺炎になっちゃったりとか、危篤状態になったりもあったので、このときはもう何回目かだったんだよね。
川内:ああ……。

太田:「呼吸するのが難しくなっているので、人工呼吸器を付けますか」とお医者さんから言われて、「ただし、それをやってもこのお年だと、命はつなげるけどもう外すこともないし、おそらく意識も戻りません。あんまりお勧めはしません」ということだったので。
川内:お医者さんがそう言ってくれたんですね。
太田:うん。俺もそれは分かっていたから、楽にしてあげてください、という感じでしたね。おふくろは意識をなくす前に本当にぎりぎり間に合って、会話も多少できたのでね。まあ、しょうがないか、という感じでしたね。
川内:呼吸が止まる直前で、そうだ、お母様が好きだった歌を聴かせよう、という発想というのが、どうして生まれてきたんでしょうか。
太田:心拍数とかをとる機械がベッドの横に置いてあるじゃないですか。「これがあと1時間ほどで、だんだん緩くなってきますので」とお医者さんに言われて、一応耳元でおふくろに話し掛けてはみるんだけど、最期まで耳は聞こえていると聞いたから。
川内:そうなんです。ご存じだったんですね。
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