太田:そうですね。当時はスピーカーで、みんなレコードで聴いていたから、おふくろが聴いているときに一緒に聴いていて。それで、自分でも好きになって、という感じですかね。
川内:そうだったんですね。あのときのラジオで太田さんが話の流れで、先にお父様が亡くなったときと、今回、お母様が亡くなったときでは全然違うとおっしゃっていたんですけど、あらためて、何が違いましたか。
太田:うーん、まあ、でも関係が違いますよね、やっぱり父親と母親ではね。俺はおやじとはほとんど口もきかなかったしね。
川内:そうなんですね。
太田:おやじは全然社交的だったんだけど、俺はおやじがちょっと、何ていうのかな。照れくさいというか、しゃべるのがね。晩年おやじが入院してからぽつぽつしゃべったりしたけど。俺は一人っ子だったんだよね。だから母親とは、子どもの頃はよく一緒にお芝居を見に行きました。
川内:お芝居ですか、何歳くらいのときですか?
太田:小学校低学年くらいですかね。うちの母親は芝居が好きで、自分も女優を目指していたぐらいだったので、連れていかれて。地域で集まって芝居を見に行く集まりの幹事役もやっていたかな。
川内:そうなんですね。ちょっとうろ覚えで申し訳ないんですけど、お母様っていろいろ活動的で、お勤め先の広報誌で面白いことを書かれたりされる方だったんですよね。
太田:そうそう。おやじと結婚する前に国分さんに勤めていて、その社内広報誌の記事ね。あれはいつごろ見つかったのかな、母親が死んだ後、番組の企画で見つかったのか。
毎回持ち回りでその部署の社員を紹介するコーナーがあって、一人ひとり、部長の誰々さんはお酒が好きで、って、その人の特徴を面白おかしく書いているんだけど、よく読むとみんなそれぞれ「実は愛妻家で」とか、さりげなく褒めてる。でも太田瑠智子という、母親のところは「この人は会社に来ても何もやらずにどうのこうの」と書いてあって、何でおふくろだけこんな、けなすような感じなのかなと思いながら読んでいたんだけど、最後に「これを書いている私の正体は明かさないでおきましょう」と書いてあって、「あ、これ、おふくろが書いたんだ」という。
川内:さっき歌の話もあったんですけど、太田さん自身の性格とか、ものの見方とかに、ご両親から受け継いでいるなと感じるところはありますか?
太田:そうね、いろいろなところがありますね。
川内:例えば?
対照的だった父と母
太田:さっきの社内報の、ちょっと毒舌というか、何ていうのかな。クールというか、冷めているというかね。うちの母親はそういう人だったんですよ。おやじは逆にもう怖がりというか、甘えっ子というか。だんだん年を取ってあちこち痛くなったりするじゃないですか。そのたびに大騒ぎしてすぐ病院だ何だって、薬もいっぱい飲んで、「俺はもうだめだ」とかいうね。
俺らが仕事を始めてからも、実家に帰るたびに、「光、俺はもう死ぬから」って、そんなことばっかり言っているおやじでね。おふくろはそれを聞きながら、「何言ってるの、死ぬ人はそんなに薬、飲まないでしょう」と。
川内:まあ、そうですよね(笑)。

太田:とにかくおおげさで、「俺はもう生きる希望も何もないから自殺する」とか言うんだけど、おふくろが、「一日中、ソファで寝転がっている人がどうやって自殺するの、一人で立てもしないじゃない」と言うわけですよ。おやじもムキになって「誰かに手伝ってもらって首を吊る」と言い返すと、「それはさ、自殺じゃないのよ、殺人よ」って。
川内:やりとりがもうコントになるような。そんなお母様は、病院に行かなかった人なんですよね。
太田:おふくろはもう本当に強くてね。本当に病院に行ったこと、1回も見たことがないですね。熱が出ようが、何をしようが、自分で治すというか、「熱い風呂に入れば治る」という人でしたね。
川内:太田さんも熱いお風呂に入るじゃないですか。
太田:そうそう、だからその影響が大きいんですよ。俺もそういうタイプで、病院嫌いで。熱が出ても熱い風呂に入って汗を出せば治るというタイプなんですよ。
川内:でも、注射は嫌いだとか。
太田:注射は苦手。だけど最近は、病院に行く回数は増えましたけどね。カミさん(所属事務所タイタンの太田光代社長、光さんの奥様)が「定期健診は必ず行かなきゃだめだ」と言うから。
川内:そこは従うんですね。
太田:うん、そして病院で大騒ぎしたりするのは、おやじ譲りですね。
川内:そうでしたか(笑)。お母様との最期のときのお話はラジオでされていましたが、お父様のときはどんなだったのでしょうか。
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