『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』
『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』

 こんにちは、編集Yです。

 このたび『親不孝介護』という物騒なタイトルの書籍を、NPO法人となりのかいご代表の川内潤さんとの共著で出させていただきました。

 2017年から始まって現在まで、新潟在住の母の介護を東京在住の私がやってきたいきさつと、悪戦苦闘の途中で、川内さんに出会い、彼のアドバイスで体制を立て直し、(今のところは)母も私もおだやかな日々を過ごすに至るまでを、知人に読まれたら相当恥ずかしいレベルで、包み隠さず書いています。

 考え方一つで、ビジネスパーソンは仕事も家庭も、そして介護も諦めずに済む、そのキーワードは「親不孝介護」。それを5年間の体験で実感し、ぜひ、働いている皆さんと共有したいと考え、企画を起こして本にするところまでたどり着きました。

 母の認知症に気付くところから施設入居まで、介護の節目節目ごとに、Yの実体験、それを川内さんとYの対談で振り返り、やりがちなミスや汎用性のある部分を引き出し、箇条書きでポイントをまとめる構成になっています。

 大きく書いておきたいのは、5年前は私も「介護のことなんて考えるのはイヤだ」と思っていたことです。だから、「介護本なんて読みたくない!」「読んだら介護が始まってしまう気がする!」という、皆さんの気持ちがめっちゃめちゃ分かります。そこに配慮して、思いっきり下から目線で、いつもの調子でゆるく作りました。Yのドタバタをゲラゲラ笑いながら、いつのまにかキーワードが入っていく、そんな本を目指しました。

親の介護を考えると、自分の生き方にたどり着く

 川内さんのお話はこれまで、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」を引き継ぐ形で掲載してきましたが、書籍刊行を機会にコラムとして独立いたしました。今回からしばらくは『親不孝介護』の販売促進企画となりますけれど、単なる「買ってください」ではつまりません。

 親の介護を考えることは、自分の生き方、ひいては死に方を考えることにつながる。

 本の執筆を経てそんな気付きを得たことから、介護そのものにとらわれずに「親との別れ」を通して、「死生観」について、自分の頭で考える材料になる記事をご提供しつつ、自らも勉強できればと思います。

 今回のゲストは「爆笑問題」の太田光さんです。

 ラジオ番組「火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)で、太田さんは自分の母親を看取ったときの思い出を話していました。「商売柄、イヤというほど人の旅立ちを見送ってきた」という川内さんは「これを聞いて、泣けて泣けて、そして、こんな別れもあるんだということを、ずっと心の支えにしてきた」そうです。

 ダメ元でこのときの話を聞きたいとお願いしたところ、太田さんは快諾してくださり、今回の対談となりました。

爆笑問題・太田光さん(写真:大槻純一、以下同)
爆笑問題・太田光さん(写真:大槻純一、以下同)

 お忙しいところありがとうございます。

太田 光さん(以下、太田):いえいえ、とんでもないです。

NPO法人となりのかいご代表 川内 潤(以下、川内):……(固まっている)あ、すみません、ごめんなさい。完全に緊張してしまって、申し訳ない。

太田さんのイメージが変わりました

 川内さん、太田さんの大ファンですからね。今回は太田さんのラジオでの、お母様とのお別れのお話がきっかけで取材をお願いしたんですが。

川内:はい、はい、2016年11月の「JUNK」で、お母様の最期に立ち会われたお話をリアルに話されていましたよね。病院のお部屋で、越路吹雪さんの「バラ色の人生」を、太田さんと一緒に聴きながらお母様は逝かれたという。私は……ごめんなさい、それまでの太田さんのイメージが変わったんです。「ああ、太田さんは、そういうふうにお母様とのお別れをされる方なんだ」という驚きがありました。

太田:いえいえ。

川内:お母様が越路吹雪さんが好きだというのは、入院される前からご存じだったんですか。

太田:知ってましたよ。越路さんのコンサート行きたい、行きたい、と、俺が子どもの頃からずっと言ってた。だけど、チケットが取れなかったんですね、ファンがものすごく多くて、もうプレミアチケットだったから。

川内:それで太田さん自身も越路さんの歌を、自分のiPodに入れていたんですよね。

太田:入っていた。

川内:ご自身も聴いていた?

太田:聴いていましたね。

川内:それはやっぱりお母様の影響があって。

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