(前回から読む→「『医療』を『介護』より優先するのは当たり前?」)
義父の方が亡くなられて、末期がんと認知症の義母の方をご自宅で介護していた深田さんですが……。
深田晶恵さん(以下、深田):がんと認知症では、どちらかというとがんの進行が早いように見えました。おなかのがんは妊婦さん以上に大きくなっていましたから。
妊婦さんよりも大きいとは……。
深田:そして2022年7月4日、義母の容体が急変しました。夜の8時頃に、あとひと駅で地元の駅に着くというときに、夫からいつものLINEのメッセージではなく電話が来て、「(義母が)ガタガタ震えて、大変だ」と言うんです。
大変だ、どうされたんですか。
深田:家族のルールとして、救急車は呼ばないと決めていました。普段かかっていない病院に運ばれる可能性が高い、入院したらコロナ禍で面会ができずに認知症がさらに進む恐れがある、というのがその理由です。
NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(以下、川内):なるほど。
自宅での看取り(みとり)を覚悟する

深田:午後6時以降の電話は、訪問診療の医師が契約している医療チームのコールセンターに転送され、そこから医師が来る、という手はずになっていました。とにかく早く帰宅しないといけないので、最寄り駅のタクシー乗り場に並んでいる人たちに向かって「すみません、親が危篤状態なので、先に乗せてくださいませんか」と。皆さんがご協力してくださって、一番前にしてもらってあっという間に家に帰りました。
素晴らしい!
深田:義母は血圧が上がり、さらに発熱していました。午後10時半くらいになって、若手医師と若い看護師の2人がやってきました。
川内:大変でしたね。
深田:医師から、「感染症の可能性が高いので、救急搬送を」と言われて「救急車? えっ、そんなに悪いの?」と私が動揺していると、夫が冷静に「呼ばないって決めたよね」と言うので我に返りました。ちょうど翌日午前中が訪問診療の日だったので、それまで待つことを伝えると、若手医師は抗生物質の薬を置いて帰っていきました。薬はよく効き、熱は下がりました。そしてですね、小康状態になった義母をそれから丸4週間、自宅で看続けたんですよ。全力で。
4週間ですか。
川内:そこからが長かったわけですね。
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