川内:相談先としては、やはり医療ソーシャルワーカーの存在は重要だと思うんですよ。お義母さんの「頑張ります」の意味、どうするのが本人のためなのか。それを家族が理解し、相談しようと思ってソーシャルワーカーにたどり着けば、糸口がつかめるかもしれません。でも実際には難しいでしょうね。病院の中の上下関係では、ソーシャルワーカーが医師に異を唱えるのは難しい、かもしれませんし。
病院で先生に言われたら、決定事項だと思っちゃいますよね。
川内:そもそも深田さんのように、お義母さんの「頑張ります」を聞いて、その意味をちゃんと考えるような家族でないと、相談にもつながらないです。
「だって本人が、先生の指示に従って頑張ると言ってるんだから」と。
川内:そう。介護でも「だって、母がこう言うから」と、本人の言葉を額面通りに捉え過ぎて、実は望まれていないサービスを選択している人から相談を受けることがあります。「そうなんですか。でも、お母さんは本当にそう思っているんでしょうか?」と問いかけて、一緒に深掘りしていくと、真の答えにたどり着く方もいます。
医療は反攻、介護は撤退戦
深田:それは診察室では難しいですよね。
川内:おっしゃる通り、診察室では困難です。
例えば、診察室に入るその前に、ソーシャルワーカーさんが家族と患者さんの間に入って、時間を取って「こういう可能性もある」と話しているならば別でしょうけど。
川内:医師の言うことは決定事項ではないし、本人の望みとは無関係に決められることも、正直多々あると思います。医療関係の方は、「治療」で考えますから。でも介護は必ずしもそうではない。
医療はいわば、失った領土を取り返す反撃、反攻だけど、介護は「撤退戦」だからですね。本人と周りにダメージが少なくなる方向で考えることが必要で、回復を目指すとみんなが苦しくなる。
川内:基本的に老化は止められないですから。だから、介護のベストアンサーと医療のそれとが合致しないことは珍しくない。そして、介護が始まれば医療との関わりはほぼ必ず発生します。ご家族がその認識を持っていることは、すごく大事です。
そうか、深田さんはまさにそのギャップ、介護と医療のはざまに立たれてしまったわけですね。
深田:そうそう。本人は認知症だから、会話だけから本心を汲み取ろうとしても本当のところは分かりません。分からないけれど、これまでの家族としての経験を通して私が「きっと、こういうことなんだろうな」と「頑張ります」を翻訳していたわけですね。もちろん、義母のためでもありますけど、副作用のある薬を使い続けて義母の具合が悪くなったら、家族だって大変ですから。
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