深田:義父は前立腺がんで、認知症というか、重要なことは覚えているから、「ボケているというよりはとぼけている」感じ。この2人と一緒に暮らして、私は在宅ワークで原稿仕事ばかりしていたのがコロナ禍の20年です。
川内:それは息も詰まりますね。
深田:当時のことで、強く印象に残っていることがあります。
21年の年明けから義母は再発したがんの治療のために、錠剤の抗がん剤の服用を始めました。一時は薬が効いていたのですが、副作用で体中に湿疹が出てしまいました。定期的な血液検査の際、義母の採血をしたベテランの看護師が「この湿疹は尋常ではない」と気付いて、いつもの外科より先に皮膚科の診察を勧められました。
皮膚科の医師は「この薬はやめたほうがいい」と診断し電子カルテに書きこんでくれ、それを見た外科の主治医が「じゃあ、別の薬にする? 深田さん、副作用で苦しいの? 抗がん剤やめる?」と義母に聞いたんですね。義母は「頑張ります」と返答しました。
「頑張ります」。そう聞けば「つらいけれど頑張りましょうね」となりそうなところですが。
「頑張ります」の本当の意味は
深田:でも、義母をずっと見ていた自分には、義母の心の底に「義父より先に死ねない」という強い思いがあると気付いていたんです。なぜ死ねないのか、それは自分が最後まで世話をしたいから。義母は抗がん剤治療を続ければがんが治る、と思っていたんです。だから「頑張ります」と答えているんだな、と。
なるほど。自分の回復もさることながら、夫を支え続けたいと。
深田:そう。その義母の「頑張ります」に込められた意味をどう医師に伝えればいいのかと、頭がフル回転しました。
義父は90歳を過ぎていたこともあり、義母と同じ病院の泌尿器科の先生から「前立腺がんの治療でこれ以上することはないので、もう病院に来なくていいですよ」と言われていました。そんな義父のお世話をやり遂げたい義母が、副作用の出た薬を飲み続けたら、お世話がゆくゆくできなくなるだろうし、休薬をすることで義父の面倒を見る期間をなるべく長くしてあげたほうが義母のためにもなると考えました。
それで医師にはどう伝えられたんですか。
深田:そのままストレートに話しました。義母の前で、義父の置かれた状態とかを話していいのかと一瞬迷いましたけれど、はっきり医師に義母の「頑張ります」が言っている意味はこういうことです、と伝えました。だって、すごく大事なところだから。
主治医もご自身の母親が高齢ながらまだご存命で、そのお母さんのことを思い出したようで「そうですね、うちの母でも私はそうします。抗がん剤よりもQOLが優先ですね」と言ってくれました。
川内:主治医の方の心の「スイッチ」が入りましたね。
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