※前回はこちら→「夫はなぜ介護の最中に白菜を漬け始めるのか」
父親への介護が仕事からの逃避や自己満足になるのが、「親“孝行”介護」のおそろしいところ。そうなりそうになるたびに、奥様の鋭いツッコミで軌道修正してもらっていたノンフィクション作家の髙橋秀実さん。しかし、お父さまの入院を機に、それまでうまくいっていた髙橋さんのお父さまへの対応に変化が……。(司会は編集Y)
認知症の父、そこから哲学を考える
そもそも髙橋さんには「これまでの親不孝を介護で取り戻そう」というような気持ちはあったのでしょうか。
髙橋秀実さん(以下、髙橋):ないです。取り戻すなんていう発想はまったくありませんでした。そもそもうちの両親は、私たちとの同居は望まず、自分たちで老人ホームの資料を取り寄せて「我々のことは我々でやるから」というタイプでしたから。とにかく子どもには迷惑をかけたくないという一心。下手に介護すると迷惑をかけたことになるので、それこそ親不孝になるくらいでして。しかしそう思っていた母が先に亡くなり、何もできない父が一人になってしまったので、それはマズいとしばらく同居することになったわけです。

NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(以下、川内):お父さまと同居されていたとき、お父さんの言動に対して「これは一見意味がないようでいて、哲学的に考えればこういう意味なのかもしれない」と、相当考えていらっしゃった。今回書かれた『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』は普通の介護録ではなくて、いわば「認知症の新しい捉え方」の挑戦のような本にもなっています。ただ、そんな接し方をしていたら髙橋さんもお父さまもお互いに疲れてしまいませんか?
そうそう。お父さんの言葉も、すごく詳細に再現されていますよね。めっちゃ注意力が要りそうですが。
髙橋:いやいや、全然疲れませんよ。はじめのうちは父とまともに受け答えして振り回されていましたが、「わけのわからないことばかり言うんだよ」と妻に話したら、「メモしてないの?」と言われて、あ、そうかと。
普通は人の話をいちいちメモしていたら疲れてしまうと思いますが、私にとっては職業病といいますか、普段からやっていることなので、そのほうが楽なんです。ポイントは話を要約せずに一字一句正確に書き起こすこと。たとえば私が「お父さんは認知症?」と訊いたときに父が「ヤマモトハツエ?」と訊き返したんですが、そういうときも「ヤマモトハツエ?」と書く。聞き間違いや言い間違いもきっと何かを意味している。あとでじっくり考察するためにも正確な記録が必要なんです。
それに私が一生懸命メモを書いていると、父も「俺の話、そんなに面白い?」と気分がよくなる。それとメモを書くときは目線を下に落とすでしょ。目と目を合わせて会話するとだんだん苛立ってきますが、目線を外しているとしゃべりやすくなるんです。
川内:なるほど。
面白い。けど、これはマネできないですね。
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