※前回はこちら→「『弱くても勝てます』の髙橋秀実さん、認知症に哲学で立ち向かう

 ノンフィクション作家・髙橋秀実さんの父親は、「座っていれば周りの家族が全部やってくれる」という生活を送っていた(髙橋さん命名「家父長制型認知症」)。母親が亡くなったあと、介護サービスに抵抗を示した父親を心配した髙橋さんは奥様と一緒に実家に戻ったが、「1日8回の散歩の付き添い」や「濡れ落ち葉のようにベッタリと張りつかれて1日中同じ話を繰り返し聞く」日々に疲労困憊(こんぱい)。そこで、強行突破で介護サービスを導入し、80代の父親に生まれて初めての一人暮らしをしてもらうことになったのでした。(司会は編集Y)

認知症の父親、でも一人暮らしは大成功

髙橋秀実さん(以下、髙橋):認知症の父との同居に疲れ果てた私は、父に一人暮らしをしてもらいました。そうしたらたちまち効果があって。電話をすると、父が出て「今、お母ちゃんに代わるよ。2階にお母ちゃんがいるから」と探しに行って……。

 えっと、お母さんは亡くなっているのに。

髙橋:そう、そして「今、寝てるよ。コタツに入ってさ」と言うんです。私と暮らしていたときは、母のことをほとんど忘れたかのようだったのに、一人暮らしで母の存在が甦ったんです。「寂しい」という気持ちから、存在を思い出したのかもしれません。それと電話で話をすることが効果的だったのだと思います。同居していると面と向かって話すことになりますが、別居すると電話で話す。電話に出るってひとつの「用件」ですよね。寂しいから用件がうれしいんじゃないでしょうか。

『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』(新潮社)
『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』(新潮社)

NPO法人となりのかいご代表・川内潤さん(以下、川内):髙橋さんが書かれた『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』によれば、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」(月2万円ほどの自己負担で家に緊急通報用の電話が設置され、依頼すればヘルパーの家事援助や定期的な訪問看護の利用も可能)といった介護サービスを利用されるなど、対策はしっかり取られたと思いますが、お父さまの一人暮らしで大きなトラブルは出なかったのでしょうか。

髙橋:大きなトラブルはなかったですね。民生委員の方から「スーパーの前で、ずっと奥さんを待っているようで……」という連絡があったのと、雪かきをして向かいの家の前に雪を積んでしまった、といった電話が来たくらいです。

髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961 年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23 回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『不明解日本語辞典』『パワースポットはここですね』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『道徳教室 いい人じゃなきゃダメですか』など。(写真:大槻純一、以下同)

川内:NPO法人となりのかいごで、家族介護に関する調査を行った際に「家族が認知症になったら、誰かが必ずそばにいるべきか」という設問には、「はい」と答えた人がほとんどでした。『親不孝介護』を推奨している身としては、「別に認知症になっても一人暮らしができないわけではないし、親子でイライラしてまで、なぜ同居にこだわるのだろう」と思っていて。本を読ませていただき、今のお話を伺って、「環境を整備すれば、認知症になっても意外と一人暮らしはできるし、そのほうが親子にとってもストレスが少ない」とあらためて思いました。

髙橋:父が一人暮らしをできたのは「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」のおかげだと思っています。スタッフの方に会うたびについつい「息子なのに、父を一人っきりで放置して申し訳ない」と謝ってしまうくらいです。

 そうしたくなるお気持ち、分かります。私も母がいる故郷のグループホームに行くつど、髙橋さんと以下同文です。

川内:後ろめたい気持ちになりますよね。

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