「家父長制認知症」の父親と同居をしてみて…

川内:髙橋さんのお父さまはご近所さんとの関係も良好で、あとがきにも書いてありましたが、とぼけたところがあるのも、髙橋さんはよく理解されている。介護サービスも上手に取り入れるようになった。でも、しばらくお父さまと同居されたのですね。

髙橋:「家父長制認知症」という、これは私が名付けたんですけれど、「座っていれば周りの家族が全部やってくれる」という中で暮らしていた父だったので、一人暮らしはとても無理だろうと思いまして。母は前日まで元気だったのに、急性大動脈解離で突然亡くなってしまったので、私なんかでもなかなか受けとめられませんからね。とりあえず妻と一緒に実家に住むことにしました。実家は家から車で40分くらいで行けるところだし。

川内:私も、一応、人間の血が流れている(笑)ので、髙橋さんがおっしゃることはすごくわかります。でも、たいていはそういう「一緒にいないと心配だ」という、ご家族の反応が、今の日本の介護問題につながるんですよ。

 なぜかというと、「これはまずいぞ」という場面を見れば見るほど子どもは不安が増幅されてしまうからなんですね。思っていたより大変なことがわかって、しかも、認知症は進行しますから、次から次とさらに問題が発覚して、お互いにイライラして、親子の闘いになってしまう。本を書くきっかけの1つとなった「ここはどこですか?」のやり取りも、Yさんが言うように普通の人は我慢できないわけです。「質問した人をバカにしたような答えだ」となって。

髙橋:なるほど。だから距離を取れ、と川内さんはおっしゃっているわけですね。

 うちの父の場合は、認知症になる前からそういうとぼけたことを言う人で(笑)。普段から「自分って俺?」とか言うし、「今日は何月何日?」と聞くと、わざと古い新聞を持ってくる。「それ、今日の新聞じゃないでしょ!」と、こっちが突っ込むのが決まりになっていたりします。父に認知症の疑いを抱いたときに、あらためて、そこに注目したというのがあるかもしれません。

失礼な物言いですが、認知症になってから人格が変わったように見える、といったギャップがあまりなかったんですかね。

髙橋:なかったですね(笑)。父のとぼけたところに慣れていたので、それほど腹も立たないし。私と父は似たところがって、父が「俺みたいなことを言っているな」と思うことがあったり。母が生きていたときは「大丈夫、大丈夫」と母にフォローされていたので、問題も露呈していなかった。

すごく気が合う友達みたいな関係、というのがありましたね。なるほど。

髙橋:身の回りのことをすべてこなす母が認知症になっていたら、父と同じように接することができたかというと、そのときは愕然(がくぜん)としたかもしれません。でも父については、最初から家のこともできないので、できないことがわかってもショックはないです。日頃からとぼけていたので、ボケてもあまり変わらないし。

川内:ああ、とても珍しいケースかもしれません。そういうお話を伺うと、お互いに自分の本質というか、父や息子といった役割の仮面をつけずに、「本来の自分」として家族と付き合っておいたほうが、認知症になったときに家族との関係に落差がなくて済むんだろうなと思います。介護が必要になって立派な父親でいられなくなった瞬間、家族から反撃を受けて「お父さんはそんな人じゃない!」と言われるより、「お父さんは昔からこういうところがあったな……」と思われたほうがいい。

髙橋:父はお調子者で、口癖は「俺のようになるな」でしたから(笑)。

川内:話を戻しますが、それでも、髙橋さんはお父さまを一人にしておいたらマズいと思ったんですよね。それは、やっぱりご近所さんに迷惑をかけてしまうのではないか、とかを心配されて?

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