(前回はこちら→『ムーミン』の改訂翻訳者、「親孝行介護」にハマる)
翻訳者の畑中麻紀さんに、お父様がサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入居されたお話を伺っています。先にお母様がお亡くなりになって、そこからお父様はめっきりと?
畑中麻紀さん(以下、畑中):そうなんです。コロナ禍(新型コロナウィルス禍)の前は、まだ母も元気でしたので、近所のシニア向け社交ダンスに行ったり。これはもう25年ぐらいやっていたかな。毎週合唱に参加したり、マージャンの日があったり、あと句会に入ったりして、とにかく何かいろいろしていた人なんですよ。
川内潤・NPO法人となりのかいご代表(以下、川内):それは男性にしてはすごく活発ですね。
畑中:ところが、そうした集まりがコロナ禍で休みになったこともあるんですが、父は「母が亡くなったのは自分のせいだ」と思ってしまって。母は癌の治療をしながら自宅で暮らしていたのですが、ヒートショックで突然亡くなったんです。
もちろん父のせいなどではまったくないんですが、そのせいでどんどん内にこもっちゃって。そろそろ外に行って、ダンスの仲間に会うとかできたらいいんですけど、意欲を一切失って、「もううちで食っちゃ寝しているだけでいいや」という状態に。私も兄も、父のことは本当はよく分かってなかったので、とても困りました。
父のことは実はよく分からない
うっ、父親の一人として「分かっていなかった」というのが気になります。どういうことでしょうか。例えば、お母様と比べると。
畑中:母と私は本当に関係が良くて。母はすごくさっぱりした人、希代のさっぱり人間なんです。4か月入院後、自宅で1年半ぐらい療養したんですけど、そのときにも母が何がしたいのかというのはすごく分かったんです。言葉数を費やさなくても、何なら言われなくても、母の意図をかなり汲むことができましたし、距離感もうまく取れていたんです。
すばらしい。
畑中:母は私に何か要求するときにでも、「この時間帯に私に言うと負荷がかかって大変だ」とか、そういうことをちゃんと分かって、ちょっと気を回してくれたり。だからけんかすることってほぼなかったんですよ。でも、父ときたら、私が夕方は忙しいとか、そういうことが想像できず、「今すぐお願い」とか言ってくるわけです(笑)。
なるほど……自分にも思い当たる節が多々あります。
畑中:そういうことがまず1つ。そして、いろいろな集まりに行っていたのは知っていますけど、「父は本当のところ何が好きなのか」と聞かれたら、確信を持って答えられない。母と比べて接している時間、機会が少ないこともあって、距離があったんです。
母は自宅で着々と終活を進め、通販を駆使して日々を楽しんでいました。突然亡くなってしまったので、もっといろいろしてあげたかったと思いますが、それはそれで時間が長くなればトラブルも出たかもしれません。なので、きれいな思い出で終わってよかった、と思うようになりました。じゃ、その分父の面倒を見てあげたいと思うかと言えば、そんなこともなく(笑)。
川内:お母様については、そう思っていていただくことが、畑中さんにもお母様にとってもよいことだろうなと思いますし、お母様にやってあげたかったことをお父様にやろうとしても、それはやはりうまくいかないですよね。お父様はお母様の代わりではないし、また意識していただいている通り、お父様と畑中さん、お母様と畑中さん、それぞれの距離感は全然違っているはずですので。
だから私は、お父様について知らないのであれば知らないままでもいいし、できる範囲でやっていただいたら、それで十分じゃないかなと思います。
介護になってから、いきなり距離を近づけよう、理解しよう、と思わなくてもいいんですね?
川内:そうです。この仕事をしていると「私たちが一番父(母)のことを知っているんです」と、ご家族の方に言われることがすごく多いんですね。でも一人の人間を100%知るって本当にできるんだろうかということや、また父としての姿は知っていても、父ではない一人の男性としてのその人の姿まで本当にご存じなのかというと、普通、そんなことはないんです。
まあ、ないでしょうね。
Powered by リゾーム?