4月に北海道・知床半島沖で発生した観光船「KAZU1(カズワン)」の沈没事故。観光を基幹産業とする斜里町にとって、1つの事業者が引き起こした事故の代償はあまりにも大きかった。失われた地域の信用。町は事故後に、どのように変わったのだろうか。

北海道斜里町の港。オホーツク海に面し、世界自然遺産の「知床」への観光が町の主要産業となっている
北海道斜里町の港。オホーツク海に面し、世界自然遺産の「知床」への観光が町の主要産業となっている

 8月中旬、知床半島へ向かう観光船事業者が集うウトロ地区を訪れた。例年であればハイシーズン真っただ中。しかし、町はどこかひっそりとした雰囲気に包まれていた。滞在中は世界自然遺産「知床」の知床国立公園内で知床連山を望める高架木道にも足を運んだ。休日であれば記念撮影を楽しむ来園者でにぎわう場所だが、記者が昼下がりに訪れた時は数人が写真撮影をしていただけだった。

 斜里町商工観光課によると、ウトロ地区にある「道の駅うとろ・シリエトク」の2022年の入館者数は2月に19年同月比を超え、3月も同水準となるなど個人客を中心に回復が進んでいた。しかし、4月以降は海難事故に新型コロナウイルスの感染拡大第7波が重なり急転直下。7月の入館者数は19年比37.3%減、宿泊者数はより深刻で同48.6%減となっている。

ハイシーズンでも町には閑古鳥

 「例年なら稼ぎ時なのに、無責任な人が起こした事故でお客さんの入りは最悪だ。宿泊者が6割減ったという同業者もいる」。ウトロ地区内のある民宿経営者はこう言って、肩を落とした。観光船も例年であれば7月から9月にかけては予約が殺到する。だが、事故の影響によって客足が遠のいた。ウトロ地区内に3社ある小型観光船の関係者は「客数は例年の3分の1程度。休日でさえ、客数が少なすぎて運航できない便も少なくない」と明かす。

 記者も滞在中、観光船に乗ってみようとある事業者に電話をかけた。「午後に乗船したい」と伝えたところ、「その日はすでに運航の中止が決まっている」と告げられた。どうやら乗客が少な過ぎて、天候に関わらず運航できないようだった。前述の民宿経営者は「コロナ禍前のハイシーズンであれば1週間前に予約が必要だったが、今は閑古鳥が鳴いている」と現状を吐露した。

 小型観光船の事業所で乗船する手続きをしていた時、建屋内に置いてあったパンフレットが目に入った。棚の端には「安全管理規程」「運航基準図」「運送約款」と書かれた3冊の青いファイルが並べられていた。安全管理規定の最終改正日は令和4年6月15日となっている。事故後に規定を見直したということなのだろう。

ウトロ地区内にある知床半島沖を遊覧する観光船のPR広告。事故の影響で客数は激減している
ウトロ地区内にある知床半島沖を遊覧する観光船のPR広告。事故の影響で客数は激減している

 道内から観光に訪れていた50代の女性客に、事故後に観光船に乗るのは怖くないかと尋ねてみた。「むしろ事故後だから安全だと思い、乗船しに来た」と語った。観光船の事業者側も安全運航に関する周知には躍起になっている。

 事業者は乗船後に安全性について感じたことやクルーズの満足度に関するアンケートを実施しており、知床斜里町観光協会や事業者のホームページではその結果が随時公開されている。10月5日、午前10時30分時点では522件の回答が寄せられていた。

 興味深いのは「予約前に小型観光船に対する不安はありましたか」という質問に対し、「あった」「不安はあったが安全対策を強化していると思った」という回答が合わせて304件あったことだ。過半数の客が不安を感じていたとする一方で、乗船後は「安心して楽しめた」という回答が498件と9割を超えていた。

 アンケートに回答した乗客のほとんどは観光船の安全性について信頼できたと感じたのだろう。ただ、一度失墜した観光船の信頼を取り戻すには長い時間がかかることは間違いない。「来町者が観光船を安心して楽しめたということを目にしてもらおうと考えた。利用してくれる人の信頼を一つひとつ取り戻していくことに尽きると思う」。同観光協会の野尻勝規会長は語気を強める。

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