2012年の第2次安倍晋三政権発足以来、インバウンド拡大政策の先頭に立ってきた菅義偉元首相。隣国、韓国を意識しつつ、「数」の目標を定めて観光立国への道を歩んできた。しかし、その過程で「数ばかりを追ってはいけない」と気づく。アフターコロナの日本の観光はどちらに向かうのか。菅元首相に、そのビジョンを語ってもらった。

インバウンド(訪日外国人)の受け入れ拡大に力を入れるようになったきっかけを教えてください。
菅義偉元首相(以下、菅氏):我々が政権復帰を果たし、第2次安倍晋三政権が発足した2012年当時、日本のインバウンドの数は840万人程度でした。一方で、韓国は1000万人を超えていました。これだけの歴史、伝統、文化があって、どうして隣国に負けているのか。これが私の考え方の基本になっています。
JR各社や航空会社などのトップと旧知の間柄であったこともあり、官民が一丸となってインバウンド拡大に取り組もうということになりました。そして、安倍元首相が第2次政権発足後、初めての施政方針演説で、「観光立国」という言葉を使ったわけです。
第2次安倍政権発足当初からの政策テーマだったのですね。
菅氏:安倍首相は当時官房長官だった私に、観光立国のとりまとめを指示されました。そこで、様々な専門家に相談をしていきましたが、中でも影響を受けたのが、元ゴールドマン・サックスアナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏です。
アトキンソン氏は観光立国に必要な4条件を提示しています。その4つである「自然」「気候」「文化」「食」ともに日本は申し分ない。課題はビザにあったんです。
ビザ緩和が転機となった
ビザを発給する条件の厳しさがボトルネックになっていたというわけですか。
菅氏:その答えにたどり着くのには時間がかかりました。ビザを発給するのは外務省で、国土交通省と観光庁は緩和を求めます。一方、警察庁と法務省は治安維持の観点から大反対なんです。
周囲から「犯罪者が大勢来て大変なことになりますよ」と言われたこともありました。私はこうした意見は一蹴しました。「犯罪を防ぐのが皆さんの役割。他の国はどこもインバウンドを拡大しているじゃないか。少なくとも同じようにはする」とね。
ビザ緩和をきっかけにして、インバウンドは一挙に拡大しました。
菅氏:13年には東京五輪・パラリンピックの招致が決まり、20年の開催に向けてインバウンドの誘致目標を決めました。開催時にどれだけのインバウンドを呼び込もうかという中で、「20年に2000万人」「30年に3000万人」という数を安倍元首相に決めていただいた。
こうした数字を目指して進めた結果、15年には2000万人弱となり、16年に目標を上方修正。19年には3200万人まで増えた。1兆800億円だったインバウンド消費額は4兆8000億円まで膨らんだ。新型コロナウイルス禍がなければ、20年に4000万人を達成できたでしょう。
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