映画を見ることで、物語に触れる時間軸が長くなる、ということですね。

川村:だから感動するし、面白いんじゃないか、と思ったんです。

澤本:「百花」は、重いテーマではあるけれど、見終わった後に説教くさくなかった。「こう思ってください」ということは押し付けられていないので、そのへんも「どちらを」に通じていた。それらを含めて、新しいというか、「変」という感想がよければ、変な映画だな、と思いました。

川村:「百花」という映画は、菅田将暉や原田美枝子の後ろ姿をカメラが追いかけています。それって観客にとっては、顔を想像する時間なんですね。俳優が抱いている不安や焦燥感を、ある時点までは、他人事として見ていく。でも、最後にそれが自分事になる映像的な仕掛けをほどこした。そんな観客とのコミュニケーションをデザインした、という実感が僕の中にあります。

映画「百花」より 
映画「百花」より 

澤本:「コミュニケーションデザイン」というのは、まさしく佐藤さんがお使いになる言葉ですよね。

川村佐藤さんがすごいのは、手法で感情を作ること。CMで「ポリンキー」とか「モルツ」とかを連呼して、多くの人に印象付ける手法は、物語とは別のアプローチで感情を生む。まさに天才的な仕事なわけですが、僕は物語や俳優の身体性が手法をぶち破っていく瞬間も作りたい。そういう欲望を持っているんです。

 そのぶち壊しのファクターは、何になるのでしょうか。

5分のワンシーン・ワンカットに6時間

川村:物語それ自体と、俳優の肉体性にほかなりません。原田美枝子が走るとき、菅田将暉が叫ぶときに、作劇の手法とかロジックとかを全部すっ飛ばして「人間」が生々しく現れる。「百花」の撮影現場は、ロジックを散々積み重ねた上で、その瞬間が発生するのを待つ、という場でした。

澤本:それは難しい挑戦ですよね。だって俳優とやりあうって、大変じゃないですか。

川村:大変だけど、自分のイメージやロジックの枠に収まっているうちは、オーケーを出さないと、最初から決めていました。

 黒澤明のエピソードみたいですね。

澤本:長編の実写映画の演出は、今回ははじめてだったわけですよね。

川村:「どちらを」で、短編はやっていましたけれど、長編ははじめてです。それこそ、すごい先輩監督たちがたくさんいる映画の世界で、新人の監督がどう立ち振る舞うか、となったとき、編集前提でカットを割りながら撮ったら、俳優に見透かされて、芝居の演出どころじゃないな、と思っていました。

澤本:言うほど簡単なことではないですよね。

川村:菅田将暉と原田美枝子が夜の湖に入っていく、クライマックスのシーンがあるんです。5分のワンシーン・ワンカット。そのシーンを撮るのに、10回以上テークを重ね、6時間ほどかかりました。どうしても納得がいくところまでいけず、深夜1時を回って、用意した衣装も底を突きそうになり、衣装さんは「これでNGを出したら、もう替えはないですから」って言うし、エキストラの方々には100人ぐらい付き合っていただいている。そんな中で、僕も俳優もどんどん追い込まれていきますよね。

 なんか、川村さん、笑っていませんか(笑)。

映画「百花」より 
映画「百花」より 

川村:ふふ。だから最後、僕も菅田将暉も原田美枝子も譫妄状態ですよね。でも、その譫妄状態を撮りたかったんです。だって記憶を失っていくというのは、そういうことじゃないですか。

 いや、そうですけどね。

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