(前回から読む)

川村 元気さん(以下、川村):変なものを作りたい、というのは僕の中にずっとありまして。
澤本 嘉光さん(以下、澤本):変なもの、ですか?
川村:変なもの、というか、稀(まれ)なものを作りたいという気持ちがあって。ネット掲示板を映画化した「電車男」(2005年、村上正典監督)、当時は映画というよりミュージックビデオ(MV)だと揶揄された「告白」(10年、中島哲也監督)、カラオケ的な演出を取り入れた「モテキ」(11年、大根仁監督)、アニメーションとMVの手法を融合させた「君の名は。」(16年、新海誠監督)など、いずれも当時の常道をはずした変な映画なんです。結果、ヒットして、それが主流のように見えているのかもしれませんが……。
「百花」も変な映画なのでしょうか。
川村:メジャー配給の映画ですが、ワンシーン・ワンカットとか、劇中の音楽だけで成立させる映画音楽とか、衣装のカラーマネジメントなど、いろいろと実験的なことをやっています。論理的な手法の積み重ねで作りつつも、ワンカットの緊張感の中で生まれた俳優のエモーショナルな演技が、そのロジックを壊していくという不思議な映画になりました。
プロモーションビデオのようだと揶揄された
澤本:「君の名は。」でRADWIMPSの曲をかけて、あれはアニメじゃなくてPV(プロモーションビデオ、音楽の宣伝用動画)じゃないか、と言われることも「稀」になるんですか。
川村:「告白」「モテキ」など、そう揶揄される方もいらっしゃいました。
だけど僕、PVが好きなんですよ。MTVやスペースシャワーTVで育っているから、ミシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズのPVの映像表現が一番かっこいいと思っていたりする。映画「百花」でも認知症の人の頭の中を映像化するときに、ワンシーン・ワンカットで撮るというのは、ミシェル・ゴンドリーやスパイク・ジョーンズがファンタジックに使っていた手法をリアリスティックに使っているとも言える。何人かに指摘されたのですが、「百花」は、かなりミシェル・ゴンドリー的なマジックリアリズムの手法を使っています。さらに原点に立ち返って、溝口健二監督が「雨月物語」でやっていたことと、ミシェル・ゴンドリーのPV的手法をミックスしてみたらどうなるんだろう、という気持ちもありました。
澤本:いずれもワンシーン・ワンカットの王様みたいな人たちですね(笑)。
川村:そうなんです。
稀、と言ったら、澤本さんの作るCMも「稀」そのものだと思います。ソフトバンクの犬のお父さん(白戸家シリーズ)など、余人は考え付きませんから。
澤本:いやいや、僕の話はいいですから(笑)。
川村:澤本さんのCMは、何か妙なものを作ろうとしている感じは相当しますよね。
澤本:ありがとうございます。それは何でしょう、僕たちのころにCMというものを志した人に、そういう「稀」が好きな人が多かった、ということかもしれないですけど。
それは時代背景としてありますね。澤本さんが社会に出た1990年前後はCMが大輪の花を咲かせたときでした。
澤本:ほかと違う変なことをしたかったとき、その時点で一番適していたのがCM界だった。でも、今の若い方々が「稀なこと」を志したときに、いちばん適切な場所が、いまもここなのかどうかは、分からないですね。
稀なものが輝くには、環境や時代が必要なのでしょうか。

川村:稀なものはどこでも輝く、というのが僕の持論です。稀って、レアってことじゃないですか。レアって「レアメタル」という言葉に象徴されるように、高値で取引されるってことじゃないですか。金属でも、映画でも、広告でも、いちばんレアなものが大衆にアタッチした瞬間に、いちばん輝くのだと思います。
澤本:宮崎駿監督の作品なんかがそうですよね。
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