マーケティングで作品を作ったことは一度もないんです。
澤本:川村くんは、映画も音楽も、もう何でも知っている。どの人がこれから来るかも、全部知っている。僕の中ではそういう方だ、という認識だったので、その後にアニメ映画の「君の名は。」(16年、新海誠監督)で、RADWIMPSの野田洋次郎さんと組んだときに、野田さんが歌っている曲が映画の一部として完全に機能していることに、何も違和感を覚えなかった。言い方を間違えているといけないんですけれども、RADWIMPSの曲を含めて計算されていて、曲が完全に映画の一部に同化している、とも言えるし、あるいは映画のこのシーンは、RADWIMPSの楽曲の理想のMV(ミュージックビデオ)じゃないか、みたいにも見える。
川村:「百花」で劇伴を使わない、というのは、それはプロデューサー視点では怖かったですよ。でも、スマホを見ない2時間がいま、映画館にあるなら、それにフィットした作り方をすべきだ、と思いました。
澤本:音楽の使い方――「使う」という言い方が適切かどうかは分からないんですけど、サカナクションやRADWIMPSの発展系として「百花」では劇伴なしまで行っちゃう。その過程を、自分でステップを踏みながら確認されて、その次を自分でやる。もともと川村くんは、状況分析をする人で、今、説明を聞いて、さらになるほどな、と思いました。
川村:この世界の状況を分析しながら作っていくというのは、実は小説を書くようになって身に付いたものだと思います。僕のヒット作は、マーケティングとか、世間での流行とかと結び付けて語られることが多いのですが、僕自身はマーケティングで作品を作ったことは一度もないんです。
え、それはかなり意外なお言葉です。
川村:逆に、僕がやっている企画や物語仕事においては、マーケティングはほとんど役に立たないものだと思っていて。じゃあ、何がよりどころになるのかというと、作家のあり方ですね。
世間の気分を感じて物語を生み出すというのが、まさに作家がやってきたことだと思います。漱石だって芥川だって、日本が第1次世界大戦に突入する時代の、その何とも言えない気分を物語にしてきた。
「百花」が反映する時代の気分とは、どういうものですか。
川村:先にお話ししたように、祖母の認知症を目の当たりにしたこともありましたが、記憶というものがどんどん外注されていく時代に対する問題意識ですね。好きな人の電話番号って、昔はそらで覚えていたけど、今の子たちはほとんど覚えていないでしょう。
澤本:スマホ頼りです。
川村:みんなスマートフォンに自分の記憶を外注している。クラウドなんてその極致。記憶というものが、そのような形で人間の身体の外にある。
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