澤本:「百花」ではワンシーン・ワンカットの独特の呼吸がありますね。コンテンツや視聴空間のアドバンテージは、時代によってどんどん変わっていきますが、そこを川村さんはロジカルに詰めている印象があります。

川村:さまざまな表現手法を相対化することで、今、自分が取り組むことのアドバンテージを見つける。そのアドバンテージは移り変わる時代の中で常に変わっていく。そういうことも含めて、映像手法を論理的に組み立てた映画を作ったらどうかな、というプロジェクトが「百花」なんです。もともと佐藤雅彦さんと短編映画を撮ったことがきっかけになった作品でもありましたし、映像手法については考え抜いています。
映画へのノスタルジーとかではなく、作品をどうやって届けるかについて、合理的に考えた結果が、ワンシーン・ワンカットになったんです。
澤本:めっちゃ分かりました。
スマホに「百花」は向かない
澤本さんのフィールドであるCMで言えば、画面がテレビのサイズから、今は掌の上のスマホのサイズに変わったじゃないですか。その影響はどんなところにありますか。
川村:それを僕も聞きたかったです。CMも見られ方が著しく変わりましたよね。タブレットやスマホでYouTubeを見ながら、という人が増えてきて。そうなると、作り方は変わりますか。
澤本:その問題はもうずいぶん前からいわれていますが、今もまだ過渡期だというのが僕の認識です。CMと呼ばれる旧来のテレビの15秒、30秒、長くても90秒という尺のものと、YouTube動画というか、スマホでちょい流れる動画はまったく違うじゃないですか。

澤本:言われているのは、デバイスによって興味を維持させる手法が違う、ということです。スマホは画面が小さいから、引いたサイズだと、出ている人が誰だか分からない。そうすると興味曲線がすぐ下がっちゃう。だから、早めのタイミングで顔に寄ってタレントの表情を見せ、なるべく引きは使わない、と。それで言うと、「百花」はスマホにはまったく不向きなものだと思うんですね。
川村:いや、スマホには超不向きですね(笑)。
澤本:スマホ画面では、導入部1、2秒が弱いと離脱される。
川村:また出た、「離脱」が。
澤本:俳優を引きで撮ると離脱しがちだから、そうしないためにアップにしてください。カットもたくさん割って、切り返して(*違うカットを交互に見せる手法)ください、って。そうなると、表現として本当に離脱を防ぐだけのために作るようになっていく。
スマホCMの息苦しさ、暑苦しさには、そういう背景があるのですね。
澤本:息苦しいんですが、見続けられるためにはその方法論で、と、離脱論的にはなっていて。そうなると、やたらに寄ったアップ画面で、やたらに人が騒いでいて、やたらに音楽が鳴っているCMばかりになっていく。さらに、それを見て育ってきた人にとっては、その方法論が当たり前になっていて、そう思っている人が企画するようになって、と、一つの循環を作っていく。
川村:広告も映画もですが、じゃあ興味曲線に沿って作ったものが、愛着を持って見てもらえているのか。見てもらえる以上に、その世界に入ってもらえるものか。広告なら商品を買うとか、その商品を好きになるのか。そこに焦点を当てると、また別の距離が生じる気もします。
「見てもらいました、離脱されませんでした、でも何の記憶にも残りませんでした」ということなら、興味や意欲に対しての有効性は疑わしいと思います。
視覚や聴覚への刺激に反射をしても、エモーショナルな部分には届いてないということですね。
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