澤本:「百花」ではワンシーン・ワンカットの独特の呼吸がありますね。コンテンツや視聴空間のアドバンテージは、時代によってどんどん変わっていきますが、そこを川村さんはロジカルに詰めている印象があります。

川村元気(かわむら・げんき) フィルムメーカー・小説家
川村元気(かわむら・げんき) フィルムメーカー・小説家
1979年、横浜市生まれ。「告白」「悪人」「モテキ」「おおかみこどもの雨と雪」「君の名は。」「怒り」「天気の子」「竜とそばかすの姫」などの映画を製作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出、11年、藤本賞受賞。12年、初の小説『世界から猫が消えたなら』を上梓後、『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』などの小説や、宮崎駿、坂本龍一ら12人との対談集『仕事。』、翻訳を手がけた『ぼく モグラ キツネ 馬』などを発表。22年9月9日、自身の小説を原作とし、脚本・監督を務めた映画「百花」(菅田将暉・原田美枝子主演)が公開。現在製作中の「すずめの戸締まり」(新海誠監督)が11月11日に公開予定。

川村:さまざまな表現手法を相対化することで、今、自分が取り組むことのアドバンテージを見つける。そのアドバンテージは移り変わる時代の中で常に変わっていく。そういうことも含めて、映像手法を論理的に組み立てた映画を作ったらどうかな、というプロジェクトが「百花」なんです。もともと佐藤雅彦さんと短編映画を撮ったことがきっかけになった作品でもありましたし、映像手法については考え抜いています。

 映画へのノスタルジーとかではなく、作品をどうやって届けるかについて、合理的に考えた結果が、ワンシーン・ワンカットになったんです。

澤本:めっちゃ分かりました。

スマホに「百花」は向かない

 澤本さんのフィールドであるCMで言えば、画面がテレビのサイズから、今は掌の上のスマホのサイズに変わったじゃないですか。その影響はどんなところにありますか。

川村:それを僕も聞きたかったです。CMも見られ方が著しく変わりましたよね。タブレットやスマホでYouTubeを見ながら、という人が増えてきて。そうなると、作り方は変わりますか。

澤本:その問題はもうずいぶん前からいわれていますが、今もまだ過渡期だというのが僕の認識です。CMと呼ばれる旧来のテレビの15秒、30秒、長くても90秒という尺のものと、YouTube動画というか、スマホでちょい流れる動画はまったく違うじゃないですか。

澤本嘉光(さわもと・よしみつ) 電通グループ エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター、CMプランナー、脚本家。
澤本嘉光(さわもと・よしみつ) 電通グループ エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター、CMプランナー、脚本家。
1966年、長崎市生まれ。90年、東京大学文学部国文科卒業後、電通に入社。ソフトバンク「白戸家」シリーズをはじめ、トヨタ自動車「ドラえもん」、資生堂、東京ガス、サントリー、家庭教師のトライなど、時代を代表する国民的CMキャンペーンを多数手がける。クリエイター・オブ・ザ・イヤー3回受賞。 脚本担当の映画に「犬と私の10の約束」(2008年、田中麗奈主演)、「ジャッジ!」(14年、妻夫木聡・北川景子主演)、「一度死んでみた」(20年、広瀬すず主演)ほか。小説『おとうさんは同級生』、乃木坂46などのMV制作など、幅広い分野で活躍。12年「日経ビジネスオンライン」の連載「澤本嘉光の『偉人×異人』対談」で、星野源、細野晴臣、細田守、佐渡島庸平、小山薫堂、糸井重里と対談。

澤本:言われているのは、デバイスによって興味を維持させる手法が違う、ということです。スマホは画面が小さいから、引いたサイズだと、出ている人が誰だか分からない。そうすると興味曲線がすぐ下がっちゃう。だから、早めのタイミングで顔に寄ってタレントの表情を見せ、なるべく引きは使わない、と。それで言うと、「百花」はスマホにはまったく不向きなものだと思うんですね。

川村:いや、スマホには超不向きですね(笑)。

澤本:スマホ画面では、導入部1、2秒が弱いと離脱される。

川村:また出た、「離脱」が。

澤本:俳優を引きで撮ると離脱しがちだから、そうしないためにアップにしてください。カットもたくさん割って、切り返して(*違うカットを交互に見せる手法)ください、って。そうなると、表現として本当に離脱を防ぐだけのために作るようになっていく。

 スマホCMの息苦しさ、暑苦しさには、そういう背景があるのですね。

澤本:息苦しいんですが、見続けられるためにはその方法論で、と、離脱論的にはなっていて。そうなると、やたらに寄ったアップ画面で、やたらに人が騒いでいて、やたらに音楽が鳴っているCMばかりになっていく。さらに、それを見て育ってきた人にとっては、その方法論が当たり前になっていて、そう思っている人が企画するようになって、と、一つの循環を作っていく。

川村:広告も映画もですが、じゃあ興味曲線に沿って作ったものが、愛着を持って見てもらえているのか。見てもらえる以上に、その世界に入ってもらえるものか。広告なら商品を買うとか、その商品を好きになるのか。そこに焦点を当てると、また別の距離が生じる気もします。

 「見てもらいました、離脱されませんでした、でも何の記憶にも残りませんでした」ということなら、興味や意欲に対しての有効性は疑わしいと思います。

 視覚や聴覚への刺激に反射をしても、エモーショナルな部分には届いてないということですね。

次ページ 自分がプロデューサーだったら止めさせたい