水野さんは現在、「MOAI」というマネジメント会社の代表取締役という肩書をお持ちです。

水野良樹さん(以下、水野):そうですね。一応、という感じではあるんですけど。

水野良樹(みずの・よしき)
水野良樹(みずの・よしき)
ソングライター。1982年生まれ。神奈川県出身。99年に「いきものがかり」を山下穂尊、吉岡聖恵と結成し、2003年にインディーズデビュー。06年、一橋大学社会学部卒業。同年、「SAKURA」でメジャーデビュー。代表曲に「ありがとう」「YELL」「風が吹いている」など。17年1月に「放牧(活動休止)」に入り、18年に「集牧(活動再開)」。19年に自身のプラットフォーム「HIROBA」を立ち上げ、小田和正ら多彩なアーティストたちとコラボレーション。20年にデビュー以来在籍していた事務所から独立し、マネジメント会社「MOAI」を設立、代表取締役に就任。22年、清志まれ名義で小説『幸せのままで、死んでくれ』(文芸春秋)を発表。23年2月にHIROBA初となるフルアルバム「HIROBA」をリリース。3月には新刊『おもいでがまっている』(文芸春秋)を刊行。ソングライター、作家と幅広い活動を行う。(写真:大槻純一、以下同)

澤本嘉光さん(以下、澤本):そこは『日経ビジネス電子版』との、まさに接点になるんじゃないかと思って。

設立は新型コロナウイルス禍最中の2020年。どういう経緯で設立にいたったのでしょうか。

水野:この対談の中編でお話した「放牧(活動休止)」の話とかぶるのですが、30代半ばを過ぎて、これからどう人生を歩んでいこうかとメンバー内で語り合ったときに、この先、自分たちだけの考えでは、物事が進んでいかない、その状況を実感したんです。メジャーデビュー後、10周年を経て周囲を見回すと、本当に多くの方々が僕たちの周りに集まってくれていました。音楽の仲間をはじめ、スタッフの方々、全国のイベンターの方々など、さまざまな方々が関わっておられて、自分たちの思いだけではもう物事が進まないし、進めちゃいけない、と。

サードアルバム「My song Your song」(08年)から「FUN! FUN! FANFARE!」(14年)まで5枚連続でオリコンチャート第1位。最初のベストアルバムはミリオンセラー達成、メジャーデビュー10周年に出したベストアルバム「超いきものばかり~てんねん記念メンバーズBESTセレクション~」も大ヒット。売れれば売れるほど、責任も重くなっていったことでしょう。

水野:自覚すればするほど、その責任を背負ったまま、前に進んでいくのは難しいと思いました。もっとフットワーク軽くやっていく形に移行したい。自立したい。意図してそう持っていかないと、きっと長い間は続けられないし、先々で後悔する瞬間が来るのでは、という話を3人でしていたんです。

でも、所属事務所を離れるって、難しいことなのでは?

「独立」するって大変ですか

水野:僕たちはデビュー当時からキューブという事務所に、15年にわたってお世話になっていました。今さら「独立したい」なんて言ったら怒られるかな、と最初は思いましたね。でも、僕たちの正直な考えや危機感を伝えたら、事務所はそれを受け入れて、送り出してくれたんですね。僕らはすごく感謝しています。

折しも同時期に、芸能界では俳優やタレントが独立する動きが、いろいろと出てきました。

水野:いや、びっくりしました。みんな、事務所を出ていくのか、独立するのか、大丈夫なのか、って?

自分は出ていったのに(笑)。

水野:本当ですよね(笑)。もちろん独立で大変な部分はたくさんあります。どれだけ前の事務所の皆さんが、僕たちを守り、育ててくれたか。自分で業務を担うようになって、より痛感しています。でも、自分たちの責任で自分たちの人生をコントロールしていく。その判断を自分たちで行える、というのは大事なことだと思っています。そこはずっとブレていません。

ミレニアル世代、Z世代と、今は大きな会社に就職した人も、ためらいなく、どんどん独立をしていく時代にもなっています。

水野:澤本さんは、まだ独立していないんですか。

澤本:たぶん僕はしないと思います。

水野:確かに「僕は独立しません」って、ずっと言い続けていましたものね。

澤本:僕の場合は会社というものがあって、そこで出会いの場を用意してもらっているからこそ、映画をやりませんかとか、小説をやりませんか、ラジオ番組を、対談を、ドラマを、◯◯を……と言っていただいてきた感はあります。僕自身どっちかというと、「俺はこれできるからよろしく」みたいなことがまったくできないたちなんで。受け身というか。

水野:いや、そうやって控えめを装って(笑)。

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