国見昭仁さん(写真左)、澤本嘉光さん(右、写真:大槻純一、以下同)
国見昭仁さん(写真左)、澤本嘉光さん(右、写真:大槻純一、以下同)

澤本嘉光さん(以下、澤本):国見くん、お久しぶりです。

国見昭仁さん(以下、国見):澤本さん、お久しぶりです。僕が2020年に電通を辞めて以来ですね。

澤本:20年といえば、コロナで世の中が大混乱し、ビジネスも止まっている最中でした。国見さんの話を聞いた時は、かなりの驚きでした。

国見昭仁(くにみ・あきひと)
1972年、高知県生まれ。クリエーティブ・ディレクター、経営戦略家。 96年、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。アサツーディ・ケイ(現・ADKホールディングス)を経て、2004年に電通に入社。10年、社内で経営/事業変革のクリエイティブユニット「未来創造グループ」を立ち上げる。同グループは17年に「電通ビジネスデザインスクエア」に拡張。18年、エグゼクティブ・プロフェッショナル(役員待遇)に就任。20年、電通を退社し、6人の仲間とともに「2100」(東京・港区)を創業。主なクライアントにダイセル、パナソニックエナジー、スノーピークほか。

 澤本さんと国見さんはともに「クリエーティブ・ディレクター」という肩書で仕事をされています。澤本さんは1990年に新卒で電通に入社し、以来、クリエーティブ局一筋。一方、国見さんは、96年に新卒入社した都市銀行から広告業界に移られ、04年に電通に転職。そして、20年にクリエイティブブティック「2100」を設立されました。

澤本:僕と国見くんは半周り歳が離れていますが、先輩、後輩という感じは僕の中では薄くて、僕は国見くんにいろいろ教えてもらって、それをさも自分の知見のように知ったかぶりして人に言う、という関係です。

 なんですか、それは。

国見:いやいや、もともと先輩後輩という序列意識は薄かった気がします。僕は電通時代、澤本さんと直接にお仕事をしたことはなかったのですが、一つあるとしたら、電通の「宇宙ラボ」で澤本さんと同じく、僕もメンバーだったことですね。

 前回の「澤本嘉光の異人探訪記」のゲストが、まさしく京都大学・宇宙総合学研究ユニットの清水雄也先生。早速「宇宙」で話がつながりましたね(その連載初回はこちら)。

澤本:そうそう、国見くんは、宇宙の話をとても面白く話せる相手だったんですよ。

 お二人はともにクリエーティブ・ディレクターですが、仕事のやり方はずいぶん違うとうかがっています。

澤本:もともと僕はソフトバンクの「白戸家」シリーズのような、マス媒体の広告、特にCMを主に作ってきました。クライアントの課題・依頼によって広告の内容を企画して、その企画に沿ってCM、グラフィック、動画映像など、マスマーケットの媒体を通じて打ち出していく。

 いわゆるマスメディアもしくはオールドメディアといわれるTV、ラジオ、新聞、雑誌の4媒体になじんだ、少し上の世代が思い描く「広告を作る人」像ですよね。

澤本:オールドメディアという言い方には抵抗を感じるのですが、大枠はその通りだとすると、国見さんはもっと根源的なアプローチをする人で、クライアントの問題点がどこにあるか、という点から課題を見つけて、解決していく人です。

 澤本さんはクライアントの宣伝部長と話す、国見さんは社長と話す――ということですか。

澤本:最近、そこは変わりつつあって、クリエーティブと直接会話をトップがされることも増えていますが、かつてはそうだったことが多いです。

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