戦後、浜松の小さな町工場を飛躍させた原動力は創業者・本田宗一郎のビジョンだった。それに魅了された従業員、顧客、株主らが会社を支え、「世界のホンダ」へと成長させた。イノベーション企業として再び輝けるか、正念場に立つホンダに求められるものとは。
■連載ラインアップ
(1)ホンダの決断 ソニーとEV連合、激動の時代へ変革急ぐ
(2)ホンダ三部社長、ソニーとのEV新会社「テスラと十分に戦える」
(3)孤高では生き抜けないEV大競争 ホンダが選んだ「現実主義」
(4)もがくホンダ技術陣、EV開発でぶつかった「思い込み」「経験」の壁
(5)電動二輪車でも反撃へ 王者ホンダ、牙城死守へ新たな「生態系」
(6)「F1より難しい」 ホンダが「空飛ぶクルマ」で目指す真の革新者
(7)ホンダ、盟友GMがつないだLGとの縁 北米でEV電池を合弁生産
(8)稼げなくなったホンダの四輪車 拡大戦略のツケを払った八郷改革
(9)宗一郎がホンダに残した道しるべ 車ではなく、未来をつくる

1996年12月、その日の仕事を終えて兵庫県西宮市の自宅に帰ったある技術者がテレビをつけると、こんなニュースが流れていた。
「ホンダが人間型ロボット開発」
そのロボットは、「ASIMO(アシモ)」の前身「P2」だった。自律歩行ができ、階段や傾斜も上り下りする。当時のロボットのイメージを覆すスムーズな動き。10年以上の歳月をかけて開発したと報じられた。
「ここまで技術を突き詰めるホンダなら、いい飛行機がつくれるのではないか」──。ホンダは当時、小型ジェット機や航空機エンジンの開発も表明していた。あるメーカーの航空機部門に勤めていたその技術者は、電動垂直離着陸機(eVTOL)の開発を率いる東弘英氏。挑戦に胸を膨らませて、ホンダの門をたたいた。
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