「人を研究しなさい。人が何を欲しがっているのが分かった時に、技術が要る。私たちの目的は人の役に立つことで、技術はあくまでもそれを達成するための手段である」。語り継がれるホンダ創業者の本田宗一郎氏の言葉だ。「人間を研究する」といわれる本田技術研究所は、未来を描き、そのときに提供できる価値とは何かを常に考え続けている。本田技術研究所の大津啓司社長に話を聞いた。

大津 啓司(おおつ・けいじ)
大津 啓司(おおつ・けいじ)
本田技術研究所 代表取締役社長、ホンダ執行役常務。1983年、本田技術研究所に入社。入社以来、エンジン設計を担当。アコード系の4気筒エンジン開発を主に、ホンダ全骨格のエンジン開発を担当。2013年本田技術研究所 執行役員、14年本田技術研究所常務執行役員、16年本田技術研究所HRD Sakura担当、18年ホンダ執行役員 (品質担当)、20年ホンダ執行職 (品質担当)を経て、21年より現職。(写真=的野 弘路)

私は今まさに『行動の時代』が始まっていると考えています。大津社長はどのようにお感じになっているでしょうか。

本田技術研究所 大津啓司社長(以下、大津社長):これまでの、リアルが主でデジタルがそれに付随する形だった社会から、今後はデジタルの中にリアルが入っている、デジタルがリアル全体を包み込んでいくというイメージは、私も全くその通りだと思っています。

 そして、そういうことが現実に起こっているという認識の下に、我々もビジネスを考えなければならないと感じています。

 これまでは、自動車業界をはじめ、生産を行ってきた多くの製造業が、産業構造の頂点に立っているといわれてきました。しかし、今は従来とは状況が変わり、全体に大きくネット社会が覆いかぶさっている状況なので、ネット社会が変わるのにあわせてクルマも変わらなければならないと、そのように捉えています。

 その中で思うのは、この流れについていけるような価値を提供していける企業しか、今後は生き残れないということですね。

 我々も、これまではモノをつくって売るビジネスを続けてきました。しかし、今は「モノ売りからの脱却」と捉え、社会だけでなく、一企業としても大きな過渡期にあります。こうした中で、いかにお客様と接点を持ち続けられるバリュージャーニー(顧客に価値を提供するための理想的な体験の連なり)をつくるのかということを、まさに今考えているところです。

 行動データは、我々で言えば「(車両から収集した)コネクテッドデータ」です。その中には、位置データ、運転に関わるデータ、車両のデータなどあらゆるデータが含まれると思います。重要なのは「たくさんあるコネクテッドデータの中から、顧客の解像度を上げるためにどんな情報を得るべきなのか」ということを、まずは明確にするということです。

 今の情報社会では、ネットワークにつながることができればデータを取ってくること自体は容易です。ただ、大量のデータが手元にあればなんとかなるという、そんな簡単な話ではない。大量の情報につながって分析することでお客様のためになる答えに近づけるかというと、そうとは限らないと思います。

 そこで重要になってくるのは、10年後のお客様をどう読み、どう想定するかということ。またそのとき、我々はどんな価値提供ができるのかということを、しっかり考え抜くということだと思うのです。未来の価値提供を先に考えることができて初めて目的が明確になり、「こういうデータをちゃんと取れるようにしましょう」という今やるべきことも、具体的に見えてくると思います。

単にデータがあればいい、膨大な情報があればいいというわけではなく、未来において顧客にどんな価値を提供できるのか。ここからスタートして「どんなデータを取るのか」を考えないと、膨大なデータも無駄になってしまいかねないということですね。

大津社長:バリュージャーニーで新しい価値を提供することができれば、確実に一歩先に行くことができますからね。既に10年後に向けた競争が始まっていますから、「どんなデータを取るのか」という見極めはとくに重要です。

本田技術研究所の役割は「人を研究」して「未来を先読みする」こと

大津社長:社会は常に変化しているので、未来を想定することは難しい。ただ、それでも未来の価値から考えるべきで、そこで活用すべきデータが見えてきたときにはおのずと顧客の解像度が上がり、その結果、最適な「何か」を提供できるということにつながると考えています。

 少し具体的な話をすると、例えば車の基本ソフト(OS)をこれからどうつくっていくかを考える必要があります。

 なぜならば、リカーリングビジネス、つまり売って終わりではなく「売った後」にもお客様に価値を提供していくことによって課金できるようなビジネスモデルを構築していくことが重要だといわれていますから。今はまだ難しいですが、将来的には走っている途中でもソフトウエアが組み変わって、車がどんどん新しく進化していくという未来も想定できるわけです。

 そうなると、そこでどのような価値提供をするのかを考えないと、どのようなOSにすべきかが考えられない。逆にそこがうまくいけば、自動車の会社であっても、現在のGAFA(米グーグル、米アップル、米フェイスブック=現メタ、米アマゾン・ドット・コム)のような存在になっていく可能性だってあると考えています。