日揮ホールディングス(HD)といえば石油・ガスなどのプラントの設計・調達・建設(EPC)で世界を股に掛けるグローバル企業。だが、脱炭素の潮流を前にトランスフォーメーションを迫られている。変革の触媒となるのが、廃油由来のSAF(持続可能な航空燃料)や廃プラスチックのリサイクルなどのビジネス。率いるのは元すご腕営業パーソンだ。新規事業開発など全くの門外漢だが、類いまれなリーダーシップで日揮HDの姿を変えようとしている。

■特集のラインアップ
異端児に託す JR西、新事業の旗手はくすぶる若手集団
損保ジャパンが自動運転向け保険開発、支えた異端児の執念
「空調機には興味ない」 ダイキンで電力会社を興した反骨の技術者
「私を部長から降ろしてください」住友ゴム技術者、57歳からの挑戦
あえてスローな乗り物で街を元気に、関電の異端エリートが見る風景
NTT東でトマトやレタスを栽培 “左遷”が鍛えた肌感覚
前例踏襲の上司に盾突き、事業費を20億円減らした地方公務員
地銀の「逆張り」デジタルバンク、生み出したふくおかFGの異端児
一度はボツも再提案で実現 ぶどう栽培に挑む三井不動産社員の執念
始まりは飲み会 公務員5000人をつなぐ異色官僚が描く未来図
ピーチ生みの親はANAトップへ 傍流での成長支えた「山ごもり」
川崎重工、帝人…上り詰めた傍流社長が体得した「異端の流儀」
京都信金、「2000人対話」が育む“おせっかいバンカー”の神髄
樋口泰行氏が挑む変革「パナソニックの嫌だった社風を潰していく」
KADOKAWA夏野氏「1割の異端が起こす変革、残り9割は邪魔をするな」
日揮の脱炭素ビジネス 「Yes, and」で導く門外漢リーダー(今回)

日揮ホールディングス常務執行役員の秋鹿正敬は、中東やアジアで営業実績を積み上げてきた(写真は携わったサウジアラビアの石油化学プラント、ペトロラービグ)
日揮ホールディングス常務執行役員の秋鹿正敬は、中東やアジアで営業実績を積み上げてきた(写真は携わったサウジアラビアの石油化学プラント、ペトロラービグ)

 「何があっても絶対に断らない。何としてでもやりきる人」

 日揮HDの常務執行役員で、サステナビリティ協創部の部長を務める秋鹿正敬の人物評はこの一言に尽きる。化石燃料プラントの巨人である日揮HDにあって、脱炭素のイノベーションとその事業化という難題を託された人物だ。

事実上、1人からの出発

 秋鹿は1987年の入社後、人事部に籍を置いていたが、90年代半ばからは営業の第一線に立ち、パキスタンやベトナムなどアジア各国を担当。時には辛酸をなめながらも数千億円のプラント設計・建設をチームで次々と受注し、押しも押されもせぬ営業部門の稼ぎ頭となった。

 「やり抜く力」にまつわるエピソードには事欠かない。2008年に2000億円で受注したサウジアラビアの石油プラントがリーマン・ショックの余波でキャンセルになったが、融資など資金の手当てを抜本的に見直し挽回。再受注にこぎ着けた。プラントの代金回収が絶望的となったパキスタンの案件も任されたが、タフな交渉力を発揮し損害を最小限に食い止めた。

 そうした手腕を買われて19年、新設のサステナビリティ協創部のリーダーに抜てきされた。だが、最初は秋鹿氏と関係会社からの出向者の2人だけという酷な人事。しかも出向者は別の業務との兼任であまり新規事業には関わらない。事実上、1人での船出だった。

 「カーボンニュートラルにつながるビジネスの種を見つけるように」。経営トップからお達しが出たが、プラント営業からの転身だけに地脈がない。

 途方に暮れたが、仲間を引き込まないことには始まらないと、研究所から技術者らをかき集めて総勢80人の陣容をつくり上げた。事務方は秋鹿氏のみ。ほかは一癖も二癖もある技術者ばかりという前代未聞の組織だった。

 組織のマネジメントに当たって、秋鹿がいの一番に掲げたのは、「『Yes, but(いいね! でもさ……)』ではなく、『Yes, and(いいね! で、どうやろうか)』という社内カルチャーづくり」だった。

 日揮では長年、事業化の種になりそうな技術があっても、予算や市場規模など何かにつけて事業化できない理由を並べたてる文化が横たわっていた。他方、事業部側にも「実用化できるか分からない研究開発のための研究ばかりやっていてどれだけ収益に貢献できるのか」という不満があった。

次ページ 技術者にないアイデアで立ち回る