持ち株会社体制に移行したパナソニック ホールディングスで、BtoB(企業向け)事業を担うパナソニック コネクト。約8600億円を投じて完全子会社化したサプライチェーンのソフトウエア大手・米ブルーヨンダーとの一体化を進めるなど、グループ内でも成長のけん引役としての期待が高い。率いるのは日本ヒューレット・パッカードやダイエー、日本マイクロソフトで経営トップを務め、「プロ経営者」の一人として知られる樋口泰行氏。実は樋口氏は新卒で旧松下電器産業に入社したが、その旧態依然とした社風に嫌気が差して外資企業へ転職した経緯がある。パナソニック コネクトで多様な人材が活躍できる「カルチャー&マインド改革」を目指す原動力はそこにある。異端と呼ばれがちな多様な人材の重要性について、その思いを語った。

■特集のラインアップ
異端児に託す JR西、新事業の旗手はくすぶる若手集団
損保ジャパンが自動運転向け保険開発、支えた異端児の執念
「空調機には興味ない」 ダイキンで電力会社を興した反骨の技術者
「私を部長から降ろしてください」住友ゴム技術者、57歳からの挑戦
あえてスローな乗り物で街を元気に、関電の異端エリートが見る風景
NTT東でトマトやレタスを栽培 “左遷”が鍛えた肌感覚
前例踏襲の上司に盾突き、事業費を20億円減らした地方公務員
地銀の「逆張り」デジタルバンク、生み出したふくおかFGの異端児
一度はボツも再提案で実現 ぶどう栽培に挑む三井不動産社員の執念
始まりは飲み会 公務員5000人をつなぐ異色官僚が描く未来図
ピーチ生みの親はANAトップへ 傍流での成長支えた「山ごもり」
川崎重工、帝人…上り詰めた傍流社長が体得した「異端の流儀」
京都信金、「2000人対話」が育む“おせっかいバンカー”の神髄
樋口泰行氏が挑む変革「パナソニックの嫌だった社風を潰していく」(今回)
KADOKAWA夏野氏「1割の異端が起こす変革、残り9割は邪魔をするな」
日揮の脱炭素ビジネス 「Yes, and」で導く門外漢リーダー

樋口 泰行(ひぐち・やすゆき)氏
樋口 泰行(ひぐち・やすゆき)氏
1957年生まれ。80年大阪大学工学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック ホールディングス)入社。91年に米ハーバード大学経営大学院(MBA)修了後、92年にボストン コンサルティング グループに転職。94年アップルコンピュータ(現・アップルジャパン)、97年コンパックコンピュータ。同社が日本ヒューレット・パッカードと合併した後、2003年に同社社長就任。05年に経営再建中のダイエー社長となり、08年に日本マイクロソフト社長、15年に会長。17年に古巣であるパナソニックに戻り、コネクティッドソリューションズ社社長となる。22年4月のホールディングス化で、パナソニック コネクト社長に就任。近著に『パナソニック覚醒 愛着心と危機感が生む変革のマネジメント』(日経BP)がある。(写真:的野弘路)

1980年に旧松下電器産業(現・パナソニック ホールディングス)に新卒で入社後、92年に退社して外資系企業に転職。日本ヒューレット・パッカード(HP)、ダイエー、日本マイクロソフトの経営トップを経て、2017年にパナソニックに“出戻り”されたわけですが、25年ぶりの古巣はどうでしたか。

樋口泰行パナソニック コネクト社長(以下、樋口氏):雰囲気は前職のマイクロソフトと比べて、ものすごくぬるかったです。私のような経営トップにかかるプレッシャーは、マイクロソフトの10分の1くらいですね。

 25年ぶりの古巣ですが「うーん、あんまり変わっていないな」というのが正直な気持ち。マインド、カルチャーというのは「相変わらずやな」と。

 1980年に入社してから数年たつと、会社がどういう風に動いているのか分かってくる。すると納得できないことがいっぱい出てきました。昭和の不条理なマネジメントがたくさんあって、例えば先輩には絶対にたてつけないし、意見をしてもいけない。ただただ指示を愚直にやっていればいいというような雰囲気がありました。いくら能力があって発揮したいと思っても、若いと難しい。私は正しいことは正しくやりたいという性格だったので、この社風は嫌でした。

 当時は国内で工場がたくさん稼働しており、正社員が製造に直接携わっていました。そういう社員は時間単位で仕事をしているケースが多く、非常に規律正しくオペレーションしないといけない。極端に言うと「軍隊的なオペレーション」ですね。そういうカルチャーが求められ、会社全体を包み込んでいました。総合商社や広告代理店と比べて、(組織の)歯車としてやらないといけないカルチャーは強かったですね。