定年まであと3年――。会社員としての大きな節目が迫る中、タイヤ大手の住友ゴム工業のある部長(当時)が変革に挑むべく、立ち上がった。技術者として二輪車向けのタイヤ開発を続けてきた原憲悟がその人だ。自らが培ってきたタイヤ設計のノウハウを残したい。そんな思いからAI(人工知能)開発に取り組んでいるが、AIはおろかシステムの設計に関しても全くの門外漢。社内外の協力を得て異例のDX(デジタルトランスフォーメーション)を進めた。その背景には、属人的なタイヤ設計の手法をマニュアル化し、生まれた余剰時間で先端技術の研究に取り組んで欲しいと後進に託す思いがある。

■特集のラインアップ
異端児に託す JR西、新事業の旗手はくすぶる若手集団
損保ジャパンが自動運転向け保険開発、支えた異端児の執念
「空調機には興味ない」 ダイキンで電力会社を興した反骨の技術者
「私を部長から降ろしてください」住友ゴム技術者、57歳からの挑戦(今回)
あえてスローな乗り物で街を元気に、関電の異端エリートが見る風景
NTT東でトマトやレタスを栽培 “左遷”が鍛えた肌感覚
前例踏襲の上司に盾突き、事業費を20億円減らした地方公務員
地銀の「逆張り」デジタルバンク、生み出したふくおかFGの異端児
一度はボツも再提案で実現 ぶどう栽培に挑む三井不動産社員の執念
・始まりは飲み会 公務員5000人をつなぐ異色官僚が描く未来図
・ピーチ生みの親はANAトップへ アウトロー社長、その成長物語
・川崎重工、帝人…上り詰めた「傍流社長」が振る変革のタクト
・京都信用金庫 おせっかいバンカー育む企業風土改革
・パナソニックコネクト樋口社長「嫌だった社風、一つひとつ潰す」
・KADOKAWA夏野社長「改革目指す1割の社員 周囲は邪魔せず応援せよ」

住友ゴム工業の原憲悟(右)、NECの近藤節(中央)、住友ゴム工業の太田武希(左)。岡山県のテストコースでは、タイヤの試乗が行われる(写真=水野浩志)
住友ゴム工業の原憲悟(右)、NECの近藤節(中央)、住友ゴム工業の太田武希(左)。岡山県のテストコースでは、タイヤの試乗が行われる(写真=水野浩志)

 「むにゅむにゅのグミ系やなあ」
 「今回のは、スカッとしとるわ」

 岡山県美作市にある住友ゴムのテストコース。開発中の二輪車向けタイヤに試乗したテストライダーの口からはこんな言葉が飛び出す。「グミ」ならばエネルギーロスが小さいのだろう、「スライム」ならばゴムの結合がおかしいのかもしれない……。タイヤの設計者たちは、抽象的な言葉や擬音を使った表現を読み解き、問題点を見極めていく。

 長年の経験とテストライダーとの関係性により、あうんの呼吸でタイヤを設計する手法は、いわば「職人芸」だ。一人前に設計ができるようになるまで少なくとも5年は要するという。その中でも、数十年間にわたって経験を積んだ原の勘所は、とりわけ鋭い。学生の頃からレースに参戦するほどの乗り物好き。1986年に入社して以来、多くの時間を二輪車向けタイヤの設計開発に費やした。

 だからこそ、属人化し過ぎた自らのノウハウをどのように後進に引き継いでいくかが、悩みの種となっていた。

 2011年にタイヤ技術本部第二技術部の部長になってからは、次世代に向けた先端技術開発や基礎研究のリソースを確保するため、開発時間を短縮するプロジェクトにも取り組んだ。その一環で、「設計手法をマニュアル化するシステムをつくれないか」と、部下に課題を投げかけたこともある。しかし、思うような結果は出てこない。どこから手を付ければいいのか、何をすればいいのか。糸口はまるでなかった。

 定年を迎えるまであと3年となった19年。自らに残された時間がくっきりと浮かび上がってきたことで、原は覚悟を決めた。

 「自分でやるしかない。誰でも同じように設計ができる仕組みを、自分でつくるしかない」

 第二技術部の部下とたった2人で、設計の勘所をエクセル上で表に書き起こす。開発は手探りでのスタートだった。

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