ワントップは成功だったのか
カンパニー制は、持ち株会社のみずほフィナンシャルグループ(FG)に権限を集約する仕組みでもあった。FGの執行役がそのままカンパニー長となり、個人部門、大企業部門など5部門の権限を持つ。みずほ銀行の藤原弘治頭取(22年3月末で退任)は持ち株会社の取締役でも執行役でもなく、銀行の執行だけに責任を持つというスタイルだ。かつて旧3行出身の首脳が持ち株会社、みずほ銀、コーポ銀の3つのトップを分け合った「3CEO体制」の反省がそこにあるからだが、結果としてFG社長の権限は絶大なものになっていく。
ただ、そのCEOを監視する社外取締役の機能は中途半端なままだった。みずほがカンパニー制の1つのモデルとしたのは、米銀最大手のJPモルガン・チェースだ。複数の有力者による共同経営に近い体制を敷くゴールドマン・サックスと比べ、JPモルガンは現トップのジェイミー・ダイモンCEOに権限が集中する。ダイモン氏は就任から15年を超える絶対的なトップですらある。
同社の取締役会は10人いるメンバーのうち、IBMのCEOだったジニー・ロメッティ氏ら6人は独立した社外取締役で、ダイモン氏ら社内出身者の取締役は少数だ。米国は02年のワールドコムによる粉飾決算事件を受けて、上場規制として社外人材が取締役会の過半数を占めるよう求めており、執行部隊へのチェック機能を強めている。
みずほは13人のうち7人が社内取締役で(22年4月からは12人中6人)、社外出身者は過半数に届かない。グループCEOであるFG社長の権限を高めても、その監視機能は決して強いわけではなかった。重要人事を決めるのは指名委員会だが、同委員長の指示に基づいて原案はFG社長が作成することになっており、外部チェック機能を骨抜きにすることもできる。実際、20年度に指名委を開いたのは7回にとどまり、15年度の12回から大きく減っている。FG社長の権限が強まるにつれ、本来であればそのチェック機能も強化が求められるだろう。
従業員の転職市場が整備されていない日本の場合、経営トップの権限が強まれば強まるほど現場は逃げ場を失って萎縮する。みずほは「3CEO制」の反動でワントップに権限を集約した。それがかえって現場組織を萎縮させて、みずほの「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という風土を一段と強めたのではないか。日本経済には終身雇用制のような慣習が根深く残っており、米国型の企業統治となかなか相いれない面がある。
企業統治のモデルに絶対的な正解はない。そもそも、みずほの問題が「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という萎縮した企業風土にあるのであれば、これからは一定の失敗を許容する「心理的安全性」が必要になる。その場合は社外取締役による執行へのチェック機能ではなく、むしろ社内取締役を軸とした分散統治体制がのぞましいだろう。企業統治改革は形ではなく「魂」が必要で、みずほはベストプラクティスを求めて試行錯誤を繰り返さなくてはならない。
[日経BOOKプラス 2022年7月15日付の記事を転載]
「世界五指に入るトップバンクになる」――。そんな目標をもって船出した巨大銀行は、度重なるシステム障害、巨額の不良債権処理、厳格な「竹中プラン」の中でもがき続ける。いったい、どこから「みずほの失敗」が始まったのか。生々しい人間ドラマも交えて検証する。
河浪武史(著)/日本経済新聞出版/1760円(税込み)
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