「内なる戦い」に終始したIT戦略

 みずほに限らず、日本の大企業には自らの失敗を簡単には認めない「無謬(むびゅう)主義」が根深くある。ただ、みずほの場合は、3行統合という歴史がさらにその無謬主義を強めていた。

 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の旧3行が経営統合を決めたのは1999年8月。総資産140兆円と世界最大の銀行グループになり「収益力、顧客サービス力でも世界の五指に入る」(当時の西村正雄・興銀頭取)と高い目標を掲げて走り出した。統合銀行はIT投資を成長戦略の柱に据えた。西村氏は「米銀のシステム投資は年15億ドル(当時の為替レートで約1700億円)。邦銀は年500億~600億円だが3行統合で追いつける」と強調。ITを駆使したデリバティブなどの「世界最高レベルのサービス」を目指した。

 ただ、結果的にみれば、みずほのIT戦略は「内なる闘い」に終始せざるをえなくなる。2002年には「みずほ銀行」の発足初日にATMが止まるシステム障害が発生する。収束に2週間以上かかる異常事態になり、その後はシステム部門の「内部の分断」に陥った。

 みずほ銀の当時の基幹システムは旧第一勧銀が開発した「STEPS」だ。大規模障害で約110人が社内処分を受け、旧第一勧銀勢はシステム運営の中枢から外される。その後は旧富士勢がシステム部門を主導するが「1980年代に設計された化石のようなシステム」(みずほ関係者)で、STEPSに精通した旧一勧の専門家を失うとその運用は手探りとなった。

 それが2011年の2度目の大規模障害につながる。東日本大震災の直後に義援金の振り込みが殺到。義援金口座の受け入れ件数には上限があったが、その設定はシステム部門で引き継がれていなかった。単純な運用ミスで義援金口座がパンクし、最後は全店のATMが止まる大規模トラブルとなる。みずほのシステムは「旧行の権力闘争で運用手順が継承されず『ブラックボックス』となっていた」(みずほOB)。

 11年の障害時も約100人が社内処分を受けた。その際に重要情報が引き継がれず、次の失敗の伏線となる。みずほ銀の提携ローンによる反社会的勢力への融資問題だ。同問題は10年時点で西堀利頭取(当時)が調査を命じ、反社融資が230件あることを把握していた。11年のシステム障害で西堀氏が引責辞任すると、その情報は後任の塚本隆史氏にもたらされなかった。13年に金融庁検査で発覚して社会問題となり、塚本氏も引責辞任。同時に50人が再び処分を受けた。

 3度の不祥事で社内処分は延べ250人を超えた。要職から経験者が外されるたびに3行統合で獲得した巨大な「人材プール」は干上がり、大量処分で企業風土も極端に失敗を恐れるようになった。みずほの第三者委員会は21年6月に提出した報告書で「心理的安全性の低さ」を手厳しい表現で指摘してみせたが、そこには処分を乱発したことでの社内人員の行動の萎縮が細かくみてとれた。

日経BOOKプラス 2022年6月24日付の記事を転載]

「世界最大級銀行」発足からの苦闘の記録

「世界五指に入るトップバンクになる」――。そんな目標をもって船出した巨大銀行は、度重なるシステム障害、巨額の不良債権処理、厳格な「竹中プラン」の中でもがき続ける。いったい、どこから「みずほの失敗」が始まったのか。生々しい人間ドラマも交えて検証する。

河浪武史(著)/日本経済新聞出版/1760円(税込み)

この記事はシリーズ「みずほ、迷走の20年」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。