
企業サイドに起きている環境変化として、株主資本主義の見直しに加えて「課題解決策のデフレ化」を挙げることができる。歴史的には、これまで常に「課題」や「問題」が過剰で「解決策」が希少だった。解決策をたくさん知っていて、解決策を早く出せる組織や人に価値がある時代が長く続いてきたのである。「問題を早く正確に解ける人」が世の中で高く評価されてきたのは、誰しも心当たりのあるところだ。
学歴とビジネスパーソンとしての仕事の能力に相関があるとは限らないことを多くの人はある程度分かっているものの、就職の入り口のところでは有名大学を卒業している学生の方が有利だった。有名大学の学生は大学入試の段階で「問題を早く正確に解けること」を品質保証されているからだ。
ところが今、解決策が世にあふれていて、そもそもの起点になる課題が少なくなっている。正確にいうと、実際の課題が減っているわけではない。あるべき姿を定義しにくくなっていることに起因している。“あるべき姿=理想”があるから、現実との間にギャップが生まれ、このギャップが課題と認識される。だが、おおよそ、ビジネスでやれることはやり尽くしたと言って言い過ぎではないほど、私たちが日常生活を送る上で困ることは多くは存在しない。
それでも、最後にギャップが残る領域はある。それが行政における社会課題の領域だ。これまではビジネスとしては成り立ちにくかったが、テクノロジーの進化によって理想と現実のギャップをしっかりと定義できれば、収益事業として解決できる時代になっている。
企業が得意な問題、行政が得意な問題
著作家の山口周氏は著書『ビジネスの未来』(プレジデント社)で「経済合理性限界曲線」という概念を示している。社会にある問題を「普遍性」と「難易度」の2軸で分類し、問題解決にかかる費用と問題解決で得られる利益が均衡する限界ラインを経済合理性限界曲線と位置付けている。
「普遍性」と「難易度」をそれぞれ横と縦の軸として分類したときに、普遍性が高く、難易度が低い領域、つまり右下の領域には企業がビジネスで解決することが得意な問題がある。なぜなら、多くの人々に関係する問題で、かつ解決が比較的容易だからである。
ユーザーが多く、サービスを提供するハードルが低いということになる。その領域を起点に、普遍性の低い方向または難易度の高い方向に移動していくと、どちらもいずれ投資が回収できなくなる。普遍性の低い方向、つまり左に移動していくと問題解決で得られるリターンが小さくなる。関係するユーザーが減るからだ。同様に難易度の高い方向、つまり上に移動すると問題解決が難しくなりすぎて投資に見合う回収が困難になる。
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