結局「誘惑」をはねのけることができない人間のさが
ナッジの価値を理解するには、アダムとイブの時代からある「誘惑」の概念をくわしく説明する必要がある。あるものが「誘惑的」であるとは、どういうことなのだろう。
セイラーはワインに目がなく、特別なワインを小さなグラスであと1杯だけ飲みたいという誘惑にどうしても逆らえない。サンスティーンはワインは嫌いだが、ダイエットコークは浴びるほど飲む。このように誘惑を定義するのはむずかしく、なにが誘惑であるかは、人によってまったくちがう。そして、重要な事実は、人の興奮状態は時間とともに変わる、ということである。
話を簡単にするため、興奮している「熱い」状態と、落ち着いている「冷たい」状態という両極端な時だけを考えることにする。サリーはとてもお腹がすいていて、おいしそうな匂(にお)いがキッチンから漂(ただよ)ってくる。そんなときにはサリーは熱い状態にあるといえる。土曜日のディナーではどれくらい食べようかと、火曜日に漠然と考えているときには、サリーは冷たい状態にある。
同じように火曜日の時点ではサラダを食べようと考えていたのに、土曜日の夕方になるとそれだけでは物足りなく思えてきて、ピザを追加したほうがよさそうな気がしてくる。われわれは、熱い状態にあると食べる量が増えてしまうような場合に、あるものが「誘惑的」であるとしている。だからといって、冷たい状態でなされた意思決定のほうがいつもよいわけではない。
それでも、熱い状態にあるとたくさんの問題に陥りがちなのは確かだ。ほとんどの人は誘惑というものがあることをわかっていて、それを克服するための手だてをとる。
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