「アテンションエコノミー(関心を競う経済)の基本にあるのは、利用者の関心を集めて広告を見てもらう仕組み。プラットフォーム事業者は行動履歴を取得することで、利用者の関心を強奪できるようになっています」。計算社会科学者の鳥海不二夫氏と、憲法学者の山本龍彦氏が、デジタル空間がもたらす問題を論じます。日経プレミアシリーズ『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現をめざして』から抜粋。

クリックこそすべて

 ネット社会におけるサービスの多くは広告モデルを使っています。サービスの利用自体は無料ですが、コンテンツに広告をつけることによって、広告主から広告費を取ってサービスを継続するビジネスモデルです。このネット上の広告によるビジネスモデルが、「アテンション・エコノミー」(関心を競う経済)と呼ばれる、現代社会の基盤となる経済原理を生み出しました。

 ノーベル経済学賞(1978年)を受賞した認知心理学者・経済学者のハーバート・サイモンは、1960年代後半、情報経済においては人々の「アテンション=関心」が「通貨」のように取引されるようになると予言しましたが、ネット社会が広がり、その予言は見事に的中しました。「アテンション・エコノミー」という言葉は、1997年にアメリカの社会学者マイケル・ゴールドハーバーによって提唱され、一般に使われるようになりました。

アテンション・エコノミーでは、クリックされるかどうかが何よりも優先される(写真:shutterstock)
アテンション・エコノミーでは、クリックされるかどうかが何よりも優先される(写真:shutterstock)
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「編集の妙」が失われる

 アテンション・エコノミーの基本にあるのは、利用者のアテンション(関心)を集めて広告を閲覧させる仕組みです。インターネット以前においては、私たちは記事が掲載されている媒体を認識し、そこから情報を得ていました。ところが、ネットの時代になると、多くの情報は情報ポータルサイトからアクセスされるようになり、媒体単位ではなく記事単位で閲覧されるようになりました。広告モデルにおいては、情報の発信者は記事一つひとつが注目されてクリックされなければ、収入につながりません。そのため個々の記事でいかにアテンションを引きつけられるかが勝負になります。

 以前は媒体が先にありましたから、自分の好きな記事ばかり読むことはありませんでした。逆に言えば、メディアは記事のバランスをとって情報を発信できました。以前、雑誌の編集者に、「おいしそうな記事と読ませたい記事をバランスよく配分する」と聞いたことがあります。新聞も同じで、興味深い記事で読者を引きつけたうえで、実際に読ませたい記事はその隣に配置したりします。その結果、読者はある程度幅広い情報を取れるようになっていました。そこには「編集」という過程があり、読者につまみ食いを許さず、偏食にならない仕組みになっていたとも言えるでしょう。

 これに対し、ネットのプラットフォームの上では、コンテンツがばら売りされるので、編集の妙が失われます。利用者はつまみ食いができるので偏食になりやすくなります。

 記事一つひとつの勝負になると、かつては正確でまじめな内容であればよかった記事が、隣にあるおいしそうな記事との競争のため、そのままでいられなくなりました。どの記事もおいしそうに見え、クリックを誘発させるものでなければなりません。すると、まずはクリックしたくなるタイトルにしようと、「タイトル詐欺」みたいなことも起きます。雑誌や新聞社からインタビューを受けたり、記事を寄稿したりした時に、内容とはまったく違うタイトルの付いた記事がネット上に発信され、困った経験があります。

 「クリック至高主義」とも言えるような状態を作ったことは、アテンション・エコノミーの問題点の一つでしょう。

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