急転直下、防衛大学校へ
日本軍の研究に意欲を見せた私(野中郁次郎)を、旧知の奥住高彦さんは防衛大学校校長の猪木正道先生のもとへ連れて行きました。猪木先生は奥住さんの高校時代の恩師です。「防衛大学校には戦争の資料やデータベースがそろっているだろう」と見通しを立て、研究への協力を依頼しに猪木先生のご自宅を訪問したのです。ワインやチーズをごちそうになり、歓待を受けました。
猪木先生は直ちに研究への全面協力を快諾しましたが、条件を付けました。私が防衛大学校に移籍するのなら研究に協力しよう、というのです。
戦史に関わる研究は魅力のあるテーマでしたが、職場を移るとなると話は変わってきます。南山大学には大切にされているという実感があり、恩義がありました。同じ時期に別の大学から移籍のオファーも受けていました。防衛大学校は社会科学系の学部を新設したのですが、新設学部にはブランド力が欠けていました。体制を強化するために私に白羽の矢を立てたのでしょう。奥住さんは移籍の話を承知のうえで、私を猪木先生のもとに連れて行ったのではないか、という気がします。
いったん話を持ち帰り、研究仲間らに相談しました。防衛大学校に移籍すると、その後の進路が限られてくるという意見が多く、みんな、こぞって反対しました。
しかし、私は何よりも研究活動を重視する人間です。リベンジを誓った米国との戦争をテーマに研究に取り組める環境には、何物にも代えがたい魅力がありました。
戦地から生き残って帰ってきた親戚の人間から「自分だけが生きていて申し訳ない」「死んだ仲間に顔向けができない」といった話をよく聞かされ、いつの間にか「人間はいつ死ぬか分からないのだから、ダメ元でいいから、やりたいことがあったら挑戦しよう、後悔しない生き方をしよう」と考えるようにもなっていました。最後は「一宿一飯の恩はあるぞ」という奥住さんの一言に背中を押され、防衛大学校への移籍を決断したのです。
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