映画にもなった銀行時代の修羅場
岩出雅之氏(以下、岩出):後藤社長は、東京大学時代にラグビー部に在籍されていました。ラグビーを通じて学び、その後に生かしていることがあったら教えてください。
後藤高志氏(以下、後藤):僕がいた東大ラグビー部は、決して強いチームではなかったのですが、当時の監督や先輩から、東大ラグビー部の伝統は「ストレートダッシュ」と、相手の低いところにぶつかっていく「ロータックル」だとたたき込まれました。いわゆる強豪校に体力的にも技術的にもかなうわけではないので、それしか戦うすべがなかったというのが実情だったのかもしれません。しかも、その2つを100%実行できたかというと、そうは思いません。ただ、そのマインドは自分の体の中に染みつきました。
振り返ると、社会人になってから山あり谷ありの人生だったと思うけれど、やっぱりその時に逃げないで真っすぐぶつかっていく、そして正直にフェアプレーでやっていくという僕の哲学にもなっているマインドの基盤は、ラグビー部で培ったものです。
岩出:後藤社長はこれまで、バンカー、そして経営者としてタフな経験をたくさんされてきていて、逆境をどう乗り越えてきたのかを伺えればと思っています。私はよく学生に、逆境に直面したとき、それを「苦しくて避けるべきもの」と捉えるのか、それとも「成長のためのチャンス」と捉えるのか、その違いは大きいよと伝えています。
後藤:おっしゃる通り、ピンチはチャンスなんですよ。僕はピンチになるとテンションが上がります。というのは、ピンチのときには、平時では絶対にできないような大胆な改革を実行できるからです。
僕の経験について話すと、最初の大ピンチは、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)で1997年に起きた総会屋への利益供与事件でした。銀行から逮捕者が出るなど、金融史に残る事件となりました。僕はその時、企画部の副部長でした。当時は、意思決定できる上層部が機能不全となったため、組織は大混乱に陥り、どの方向に進めばよいかわからなくなっていました。
その時、私を含めた4人の中堅行員が先頭に立って、決めるべきことをちゃんと決め、事態を収拾していきました。もちろん最終的には、上層部に決裁してもらいますが、かなりの部分を僕たちが決めていました。
97年のゴールデンウイーク前の4月下旬から5月いっぱいまで、1カ月半ぐらいはほとんど家に帰っていません。近くのホテルに部屋を取ってもらって、女房に着替えを1週間に1回か2回ぐらい届けてもらい、睡眠時間も3時間寝られればよかった。体重も2、3カ月で5、6キロ減りました。
さらにその後、いわゆる反社会的勢力との取引を断ち切っていくという、かなり厳しいことにも取り組みました。身の危険も感じながら、あれだけの修羅場を経験したからこそ、人間的にはすごく強くなりました。その後も色々なピンチがあったけれど、銀行時代の危機的な状況に立ち向かい克服したという自信が、私の最大の強みになっています。
Powered by リゾーム?