コロナ禍をピンチではなく「成長の機会」に
2020年春以降、世界も日本も新型コロナウイルスに翻弄されています。多くの感染者や死者を出し、やや毒性が弱まったオミクロン株になっても、特に持病を抱えている高齢者の方々にとっては脅威です。この年の前半、ラグビー部の活動も中断を余儀なくされました。
言うまでもなく、コロナ禍は大変な災いです。私たちも当初は対応に苦慮しましたが、この時期をどう過ごすかが非常に重要だと直感的に思いました。コロナ禍をピンチとして捉えるのではなくて、災いの中で自分たちがどれだけ成長できるか。2019年度、さまざまな壁に突き当たっていた私たちは、「活動がいったん停止したことは、それまでの自分たちを振り返り、見直すための絶好の機会だ」と180度切り替えて考えるようにしたのです。
「ピンチはチャンス」とよく言います。今がその時だと思いました。
2020年春、私は、コロナ禍を機に、組織づくりを土台から見直しました。
私たちが長年取り組んできた「脱・体育会」は、コンセプト自体は間違っていないと思います。しかし、そのアプローチ方法に少し問題があったのではないかと、2019年度シーズンで敗戦を経験して感じました。
帝京大学ラグビー部の「脱・体育会イノベーション」は、上級生が基本的に部内の雑用の大半をこなすことが最も画期的だったのですが、実はそれが1年生の成長を阻む原因になっているのではないか、というのが私の分析です。上級生が雑用をすべてこなすことで、1年生の心理的安全性は高まりますが、それだけだと図の「快適ゾーン」に入ってしまいます。和気あいあいとしていて居心地はいい仲良しグループではあるけれど、難しいことには挑戦しようとしないので、成長も期待できない。いわば「ぬるま湯的」な環境です。
従来の体育会組織のピラミッド構造をひっくり返し、特に1年生の心理的安全性の確保に取り組んだことまではよかったのですが、その先に思わぬワナが潜んでいたのです。心理的安全性は、目標達成の責任の重さが伴っていないと、自ら学び成長を目指す学習組織にはなりません。
では、下級生にも責任を持たせるようにするにはどうしたらいいかと考えました。
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