1970年代、石油危機をきっかけに日本は「狂乱物価」に見舞われた。1年で23%という未曽有の物価上昇に社会は混乱したが、同時に産業構造の変革も進んだ。「絶望物価」に絶望してはいけない。新ビジネスは既に芽生え始めている。

今から半世紀ほど前、「狂乱物価」と呼ばれる猛烈なインフレが列島を襲った。1973年10月、第4次中東戦争が勃発し、中東の主要産油国は原油の公示価格を一気に引き上げた。いわゆる「石油危機」により、原油価格は3カ月で約4倍に値上がりし、日本の消費者物価指数は翌年、前年比で23.2%も上昇した。
原油が値上がりすれば、巡り巡ってトイレットペーパーの供給が枯渇する。そんな不安が消費者の間で広まり、全国でトイレットペーパーの買い占め騒動が起きた。それだけでは収まらず、石油を主原料とする合成洗剤から、砂糖、塩、しょうゆといった調味料まで、ことごとくスーパーの店頭から消えた。
その後、日本経済は盛り返した。しかし、バブル崩壊とともに「失われた30年」を歩むことになる。景気が悪化し、消費は低迷。給料はなかなか上がらず、値下げしないと物が売れない悪循環「デフレスパイラル」に陥った。デフレが当たり前になってしまった日本にとって、物価が上がり続けることに対する免疫は薄い。今こそ、半世紀前の「狂乱物価」の教訓を思い出す必要がある。
石油危機からの狂乱物価を経て、日本はたくましくなった。事実、70年代後半から80年代初頭にかけて再び石油危機が起きたが、大きな社会的混乱は起きなかった。対策が進み、国民も冷静になっていたからだ。
石油依存率を下げるため、エネルギー源の多様化が進み、省エネ社会への大転換が始まった。産業構造も大きく変わった。エネルギーを多く使う素材型産業から、自動車、電機などの加工組み立て型産業へ主軸が移った。未曽有の物価上昇に鍛えられた結果、新しいビジネスが台頭し、危機を乗り切ることができたのだ。
原材料の高騰に、ロシアのウクライナ侵攻に端を発したエネルギーの供給懸念、運送費の上昇、そして急激に進む円安。様々な要因が重なり、物価の上昇に拍車がかかる。終わりが見えない現状は「絶望物価」と呼ぶしかないが、だからといって本当に絶望してはいけない。
逆境をむしろチャンスととらえ、新ビジネスを生み出そうとする動きは、既に芽生え始めている。共通しているのは、攻めの姿勢だ。
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この記事はシリーズ「絶望物価、負のスパイラルへ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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