物価上昇が止まらない。ロシアによるウクライナ侵攻や脱炭素の進展、サプライチェーン(供給網)混乱、そして急激に進む円安による輸入コスト上昇など様々な要因が絡み合う。跳ね上がる原材料やエネルギー価格でメーカーの採算は悪化し、家計も苦しむ。それでもデフレの長期停滞で下がったままの賃金は上がらない。日本経済に負の連鎖が襲いかかる中、企業はこの「絶望物価」とどう闘うのか。初回は身近な立ち食いそば屋が直面している深刻な状況をリポートする。

日暮里駅近くの一由そば。安いそばを求めて次々と客がのれんをくぐる
日暮里駅近くの一由そば。安いそばを求めて次々と客がのれんをくぐる

 その原因は、ロシア産そばの供給減ばかりではない。小麦粉、揚げ油、しょうゆなど、あらゆる原材料の価格が引き上げられている。「1年たたずにまた値上げしなければならない」。東京・日暮里の立ち食いそば屋が悲鳴を上げる。

 「そばを普通盛りにゲソ天をトッピングして」。4月下旬の昼下がり、日暮里駅東口前にある24時間営業の立ち食いそば屋「一由そば」には、幅広い年代の客層がひっきりなしに訪れていた。建設現場に出る前の職人、学生、タクシー運転手や運送ドライバー。注文してすぐ出てくるので客の回転も速い。

 温かいそばは230円(税込み、以下同)、半分の量の小盛りなら120円で食べられる。コシが強い田舎風が評判の名物「太蕎麦」に、ゲソ天、半分の紅ショウガ天を載せても価格は490円とワンコインでお釣りが来る。立ち食いそばファンは「都内一安い」とも称する。だが「早い、安い、うまい」を信条にしてきたこの繁盛店がかつてない難局に直面している。

たかが10円されど10円

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 「揚げ油を値上げします、という連絡がつい最近来ました」。一由(東京・荒川)の山本耕平社長は「大豆油の業務用一斗缶値上げのお知らせ」と書かれた1枚のファクスをじっと見つめる。「最近は問屋やメーカーから『毎月のお便り』みたいに届きます」と諦め顔だ。

 海産物のゲソ、天ぷらに使う小麦粉、油やしょうゆ、製麺事業者から仕入れるうどんやそば──。あらゆる原材料の仕入れ価格が上昇。2021年12月15日に全商品一律10円の値上げをした。一息ついたのもつかの間、4月にはうどんの仕入れ価格が再び上がり、6月にはそば、小麦粉と仕入れ価格が上昇する見通し。

 これまでも3~4年に1度、値上げをしていたが、その周期は短くなっている。新型コロナウイルス禍による供給網混乱に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻でエネルギーや穀物価格が上昇したことが背景にある。「前回から1年たたずに再び値上げすることになるだろう。前代未聞だ」。企業として生き残るため、そして従業員の賃金の原資にするためにも値上げは避けられない。苦渋の選択だ。

 「毎日来てくれるお客さんの懐具合を考えると、販売価格に転嫁するにも限界がある。たかが10円、されど10円なんですよ」。山本社長の脳裏に苦い記憶がよみがえる。小盛りそばを楽しみに毎日訪れていた年配客が10円値上げした日から姿を見せなくなったのだ。

 「米粉そばを開発してくれないか」。山本社長はなじみの製麺事業者にこう打診している。世界最大のそばの実生産国であるロシアばかりでなく、中国産も品薄で高値が続く見通し。「国産そば粉しか使えなくなったら、それこそ立ち食いそば1杯1000円みたいな世界ですよ。我々のような小規模の立ち食いそば屋は成り立たない」。山本社長はそう天を仰いだ。

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