家族はそう言われたら、自尊心も失わずに済みますし、いい言葉ですね。「家族は見舞いに行くべきだ」と言われたら、すごくしんどくなりそう。

松浦:そうですね。医療的な話は別にしてですが、介護の世界にはきっと「こうすべきだ」ということは、本当はあまりないんでしょうね。だから、シンプルなハウツー物はあんまりなじまなくて。「こうすべきだ」で書く話では全然ない。むしろ、「こういう選択肢もあります」「トータルとしてこういう雰囲気でいくのが一番いいです」みたいな、そういう言い方になるのかもしれない。

介護は「べき論」とめっちゃ相性が悪い

考えてみるとロジックが通用しない世界で、「べき論」が成り立つわけがないですね。

川内:です。だから、相談を受けていても、「私はどうすべきでしょうか」とか、「ほかの人はどうしているんでしょうか」とか、「父が死んで母1人になったら、私が一緒に住むべきですか」とか、いや、もう、そこでべき論で考える「べきではない」のですよ。

 「どうしてそう思われますか」と整理していくと、整理していった先には何もないことが分かる。ビジネスの場合は、課題を一生懸命整理した結果、ソリューションがだいたい眠っているというか、何らかの仮説が成り立つわけだけど、介護にはそれが何もない。

一般論として言えるような根拠がない。

川内:ない。ケース・バイ・ケース、その人次第、としか言いようがないことがほとんどです。

岡崎:先が見えなすぎるから、不安すぎて、「べきだ」「べきだ」で導いてもらいたくなるんでしょうか。

川内:うん、言い換えると私たちは仕事や日常では、ほぼ「べき論」に縛られて生きているということなんでしょうね。それがないと急に不安になる、そして介護には「べき論」がない。でも考えてみると、そもそも自分たちの生活も本当は「べきだ」で縛ることなんか何もないんじゃないだろうか。

 と思うとだんだん、「あ、大丈夫じゃん」となる。だから介護の仕事をしているとだんだんそんな気分になってきて、「今日は海に行っちゃえばいいのかな」とか(笑)。江ノ島でも見ながら1日ゆっくりすればいいんじゃないかなとか。そうすると今度はだんだん社会からはじかれていくわけですけど(笑)。

 でも、介護の仕事をしていると、何かそんなふうにすら思わせてくれるんですよね。その人にとっては、今、この一瞬がすべてなんですよ。だって次の瞬間、笑っていたこの感覚は記憶としては消えるからですよね。でも、この今ほんの0.1秒、0.2秒かもしれないけど、笑っているこの瞬間は確実に事実として笑っているわけだから。

 だとしたら、自分はそこだけを見ていればいいんじゃないか? と思ったときに、「べき論」って何だろう。今までの経験値から導き出した、効率的に何らかの成果を出すためのルール、ということじゃないか。

「成果主義」「因果応報」「自己責任」のロジックで成り立っている世界の側からすれば、社会規範を維持するために、自動的に反応してくれることが望ましいルール集、みたいなことかもしれないですね。

川内:ということですね。小学校はちゃんと行くんだよとか(笑)。ごめんなさい、私、ちゃんと行ってないんです、ちゃんと行けなかった、というか。1時間目が終わるともうつらくって、そろそろ給食室に潜り込んで食べて帰ろうかなという感じの小学生だったので。そのときは当然ですけど怒られるわけですよ。それを正当化するつもりもまったくないんですけど(笑)。でも、まあ、よくないんですけど。別にいいんだなというか。 

NPO法人となりのかいご 川内 潤さん
NPO法人となりのかいご 川内 潤さん

いったい何がそんなに嫌だったんですか。

川内:今思うといろいろあって、まずみんなで一緒に座っているのがつらい。

岡崎:そこから?

川内:そこからです。

そこからですか。

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