川内:納得いかないけれど、医学という名の下にすべてを解決するのは誰のためなんでしょう。本人か、家族のためなのか。認知症は長寿の結果であって、個人の責任じゃありません。そして、決してそんなに不幸なことばかりじゃないかなと思っていて。

松浦:長寿の結果、確かに。

川内:言い方をマイルドに変えると、日本が長寿になったという結果を、私たちはちゃんと享受できていない、ということなのかもしれません。ただ長生きして、認知症になって、生きられる時間が長くなったということだったら、どこかゆがんでいるように思えます。死をひたすら遠ざけることに集中しすぎて、どう生きるかを考えてこなかった、といいますか。

松浦:僕は、医療技術に比べて、社会の側はそんなに早く変化しない、ということが背景にあるんじゃないかなと思います。

川内:なるほど。

松浦:というのは、例えば江戸時代の平均寿命は乳幼児死亡率を除いたら60歳ぐらいだったみたいですけれども、それでも今よりはずっと寿命は短いわけですよ。私の家の過去帳を見ると、やはり早く死んだ人が多いです。子どもと没年が同じ女性が記載されていて、なにかと思ったら出産時に母子共々亡くなっていたりする。出産は命がけなんですね。あるいは、「跡継ぎが早く死んじゃったから、娘のところに婿養子を取って」みたいなことが書いてあったり。寿命の短い時代には寿命が短いなりの社会制度があったわけです。僕は家制度ってそんな時代の産物かなと思っているんだけど。

松浦晋也さん
松浦晋也さん

 だから、寿命が延びた時代には寿命が延びた時代の社会制度というのがあっていいんだと思うのですよね。ただ、それは今のところまだちゃんとつくれてない。

川内:そういうことですね。本当にそうですね。

長寿に対応した社会制度がまだできていない

松浦:ほら、「八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)」というお話があるじゃないですか。人魚の肉を食べて800歳まで生きた尼さんのお話。彼女はいろいろな男と結婚するんだけれども、みんな先に死んでしまって、生きることすべてが嫌になってしまうんですよ。

もうやっていられないと。

松浦:そうそう。みんな死んじゃって、無情を感じて尼さんになっちゃうんだけれども。いや、待てと、僕は思うわけです。「お前、800歳まで生きられるんだったらもっとできることがいっぱいあるだろう」って(笑)。

川内:確かに。

松浦:でも、八百比丘尼の話はそれがないんです。なぜかといえば、みんな40歳、50歳で死んじゃう世界の話だから。800年を充実して生きるライフスタイルはあり得るのだろうけれど、それは800年生きた女性が1人いただけではどうにもならない。みんなが800年生きるようになり、かつどう生きたかの蓄積ができないと、よいライフスタイルは形成されないんです。

川内:だから今、そういうことを問われている気がするんですよね。

松浦:認知症の問題は、実は社会の制度や慣習の問題であって、科学技術、この場合なら医学の進歩とは別に、社会の側からの解決方法があるはずなんですよね。ただ、それには長い時間をかけた知恵の蓄積が必要だからなかなか実現しない。

岡崎杏里さん(以下、岡崎)どこにたどり着くんですか。

川内:分からないです。

「機嫌がいい人」が相手をすることが重要

ちょっと話が大きくなりすぎましたので、地べたに戻りたいんですけど(笑)。もし「理想の介護」があるんだとしたら、やっぱり、介護される親にとっては、息子なり娘なりが幸せそうにしているのが一番じゃないでしょうか。ベーシックだけど、それが実現できれば「世の中に生まれてよかった」という実感が、たとえ認知症になっていても生まれるんじゃないかな。

川内:そこですよね。自分の子どもだと分からなくなっていたとしても、機嫌がいい人に相手をしてもらえて、うれしくないわけがありません。

誰だって、目の前の人が、しんどそうな顔をしているのが一番つらいはずですよね。

川内:そうです。そう思います。

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