そうもいかなかった。リハビリをしてもなかなか歩けるようにはならない。まずは車椅子に乗るのだが、ベッドから乗り移るのにも看護師さん2人がかりだ。

 母自身ももどかしいのだろう。いらいらして「あんたも手伝いなさい!」と私に怒声が飛んでくる。ところが手伝えば「痛い痛い」と騒ぎ、「お前はやることが痛い」と怒る。手術は終わっても母の「痛い痛い」を聞かされることになったわけである。

 身内の介護は甘えが出てダメだという典型例だ。わかってはいるが、母に「お前は役立たずだ」と罵られると、なかなかつらい。

 手術が終わったので、病院側から介護用のお尻拭きとリハビリパンツを持ってきてほしいと言われた。新たに購入するのではなく、家に残していた在庫を持って行く。一度でも母が家に帰れるなら、と思って残しておいたのだが、車椅子に乗るのも大変な様子を見て決心した。

 あの体と、どんどん進む認知症とで、もう母は家には戻れないだろう。

「でも、自分ごとではない」と思っていた

 母の言動は徐々に通常運行に戻っていった。この時点での通常運行とは「ここの飯はまずい」「退屈だ本をよこせ」である。本は買ってきて差し入れる。病院のご飯はいかんともし難いので、「お茶がまずいからお茶買ってこい」というタイミングをとらえて、さっと自販機でペットボトルのお茶を買って一緒に飲む。

 その一方で、現実と「こうであったら良い」と思っているらしきことの混合も始まっている。突如姪の名前を出して、「あの子がお医者さんに呼ばれて出て行った。あのちっちゃいのがひとりでお医者さんの話を聞くのはつらいだろうから、あんたも行ってあげて」などとも言われる。どうも看護師さんを姪と混同しているらしい。姪は2人いて、上は確かに看護師さんと混同されるかもの背丈になっているが、下はまだ「ちっちゃいの」と言われる年齢だ。この2人も混じってしまっているらしい。

 手術が終わるとグループホームからはスタッフのOさんが面会にやってきた。「完全に忘れられてしまって、関係構築やりなおしになるのは大変なので。人間関係をつなぎに来ました」という。

 母が入院した時、私は「受苦(じゅく)」という言葉を思い出していた。苦しみを受けるという言葉だが、確かに人生に受苦としか形容しようがない時がある。

 これは母の人生に訪れた受苦の時なのだ、と私は考えることにした。仏教には仏や菩薩が衆生に代わって苦しみを引き受けるとする「代受苦」という概念がある。キリスト教におけるイエスの受難も、人々の罪を代わって引き受けて磔刑に処されるという意味では――罪と苦しみで引き受ける対象は異なるが――代受苦と言えるだろう。私はとある宗教学者の講演で「とはいえ、代受苦では引き受けきれない苦しみもありますから、それは個々の人生で受苦するしかないのです」と聞いたことがある。

 もっとも、そこに「俺の身に起きたことじゃないし」という凡人・俗人っぽい舐めた意識があったことも否定しない。自分は痛くない。がんばってねお母さん、という感覚だ。

 この俗人感覚が入院期間中にひっくり返されるとは、まったくもって思ってもいなかった。

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