効能の発生機序が異なるので、おそらくは同時服用も可能なのだろう――そう考える。しかし、ここまで来ると、もう素人ではいくら調べても服用させてよいやら悪いやら、まったくわからない。医師を信じて任せるしかない。

 確かにリスパダールの服用開始後、母の攻撃的な怒りは収まった。

 残念なことに妄想は消えなかった。それまでは「誰かが自分の家に勝手に住み着いている。お前だろう!」と怒りを周囲に向けていたものが、「誰かが自分の家に勝手に住み着いているのよ」と冷静に指摘する口調に変わったのだ。淡々と妄想を語る母は不気味といえば不気味だが、それでも怒りもあらわに暴力を振るう母よりはずいぶんとましである。

 怒りは薬効成分の血中濃度が高い午前中は出ず、濃度が下がってくる夕刻から就寝前にかけて出てくることから、リスパダールが効いていることが間接的に確認できた。

 グループホームのスタッフや家族に対する、妄想に基づく攻撃的な態度は出なくなった。これは本当にありがたかった。が、同時に意識レベルが若干下がってぼおっとするようになったかにも思える。しかし、そのぼおっとした状態がリスパダールの副作用なのか、それとも認知症の進行によるものなのかは、なんとも判断し難い。

 グループホームでの精神科の薬品の処方には、様々な意見がある。「認知症は精神の病気ではない。安易に精神科の薬品を処方すべきでない」とする意見があることは承知している。「薬を飲ませて意識レベルを低下させ、管理しやすくしているんだ」という意見があることも知っている。

 その上で、これはもう気を付けつつも処方するしかないのだろう、というのが母の妄想と暴力を体験しての実感である。あのまま暴力をのさばらせ放題にした場合、グループホームのスタッフにかかる負荷は大変なものになっただろうと容易に予想できるのだ。とても家族から「精神科の薬の処方はやめてくれ」と言える状況ではなかったと判断している。

鉛筆で描いた絵をざっと消すように

 元気な頃の母は、決して暴力的な人ではなかった。認知症により脳が壊れていくことで暴力を抑制していた機能が働かなくなり、急に暴力的になったのだろう。

 ひっかき傷の被害を受けたスタッフのOさんがしみじみと話してくれた。

 「認知症の方の人格というかその人のあり様というか、そういうものは、鉛筆で描いた絵を消しゴムで、ざ、ざ、と大きなストロークで消していくように感じることがあるんですよ。絵の一部が消えてもその絵が何だったかはわかるんです。認知症になってもその人はその人なんです。でも、消えてしまった部分が増えていくと、あるところで、ふっとその絵がなんだかがわかりにくくなるんです」

 その通りだと思った。認知症を患っても母は母だ。だが、妄想を抱いて怒る母は、もう以前の母と同人格とは思えない。

 しかし、同時に私は「Sさんね、『ボクは家に帰るよ』と言って出て行ったの」という言葉も思い出していた。この言葉が出たときの母は、認知症以前の元気な頃の母だったのではないか。

 だから私はOさんにこう答えた。「でも、その絵は鉛筆であると同時に生乾きの墨絵みたいなところもあって、消えたところに下から墨が染み出てきて、おぼろに以前の形が見えたりもする、と」

 Oさんは叫ぶようにして言った。「ああ、そうですそうです!……ほんと、一筋縄ではいかないですね」。

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